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【王ステ二次創作】The Lady dreams in the Dream.2
夕暮れを過ぎて夜になれば、ハイゲイト墓場に滅多に人が訪れることはない。来るとしたら、墓守、墓荒らし、度胸試しに来る町の若者。そして、彷徨う亡霊くらいだ。
新月の月明かりもない夜はすぐに暗闇に包まれた。それでも夜になってすぐは呑み歩く者も多く、ヴラドとヴィンツェルは結局軽い夕食(といってもおぞましい人の臓物や血液だが)を済ませてから目的のかの噂のある墓地へと向かった。
ヴラドはシルクハットに分厚い霧除けのコートを羽織り銀製の鴉の飾りのついた黒い杖を持っている。ヴィンツェルはボーラーハット(山高帽)を被って主より一段動きやすい黒いコートを着ている。
溶けた闇の中から、すっと墓場の鉄門にヴィンツェルの黒革の手袋をした手が現れる。取っ手を下ろして手前に引けば、キィィィと甲高い声を上げて黄泉の門が開いた。霧と闇で湿気て、ヴラドとヴィンツェルの重いコートはさらに重みを増す。
ヴィンツェルが主を通して再び甲高い音をさせて黄泉の扉を閉める。
ヴラドが入ったハイゲイド墓地は深い闇に包まれて人間の目には重いドロリとした暗幕が四方を取り囲んでいるようにしか見えないだろう。不死の体を手にしてからヴラドの視界は変わり、夜目がいやに効くようになった。暗闇の中にもぼんやりと通路に家の戸口のように並ぶ廟とその向かいにずらりと並ぶ一つ一つの墓の輪郭が浮かび上がる。
「見えるか」
従者に問えば、「ご心配なく」と胸に手を当てて軽く頭を下げて主の配慮に感謝しながらヴィンツェルが答える。
「死神として迎えにでも行こう」
ヴラドの言葉にヴィンツェルはくす、と笑うと「こちらです」とどこから調べたのか真っ直ぐにヴラドを噂の場所へと案内する。古くからある廟や墓の列を過ぎれば新しい墓のために拓かれた平原が出てくる。中でも噂の娘は本当に最近に亡くなったのだろう、空き地の近くに新しい石で造られたマリア像の下にくっきりと鋭い文字で名前が刻まれている。
「ふ、名前がそのままとは可哀想なアリスだ」
墓石に刻まれた名前はアリス・エバンズだった。
霧に包まれたマリア像は肌をしっとりと濡らして両手を広げ赦しを示している。風もない漆黒の中で霧が揺れる。墓石を見下ろしていたヴラドの視界の端に白いスカートの裾がはためいた。
「マリアタ」
すかさず隠していた剣に手を伸ばしてヴラドと白い布の前に出ようとする従者を主は一瞥だけで納める。
背の高いシルクハットの男の胸までもない頭は白くぼやけ、癖のある巻き髪がふわふわと浮いて、薄い寝巻きのような白いハイウェストのドレスを着た少女はぼんやりとマリア像の下の墓石を見下ろす。
虚空に揺れる霧を集めたような少女が、ずっしりと湿気を集めて重くなった闇を纏う男の隣に佇んでいた。
少女の目は虚ろだったが、主の隣りに控える従者はいつ何時でも対処できるよう警戒している。そんな従者を傍目に、主は少女に問いかけた。
「何かこの世に思い残しでも?」
ふわふわと揺れる巻き毛は変わらず揺れ、霧に舞うスカートも変わらない。
なんの気配も変えず、少女は自らの墓を見つめて小さく頷いた。
「小さなアリス、黄泉に行ったにもかかわらず、現世にどんな忘れ物を?」
アリスは虚ろな瞳からぽろ、と涙をこぼして「会いたいの」と答えた。
「誰に」
静かな問いに「彼…。わたしと婚約をした大好きなひと…」と、墓から目を離さず、口も動かす事もなく、ゆらりゆらりと揺れながら儚い少女はとても小さな声で答えた。
「現世に帰りたくはないか」
「かえりたい……ひとめ、彼に会いたい…」
「たとえ、悪魔の力を借りたとしても?「マリアタ」
すかさず従者が口を挟んで制止した。たとえヴラドとヴィンツェルでも死者の蘇りなど試したことがなかった。
「少女に契約など荷が勝ち過ぎます」
「少年に契約させた者が何を言う」
「黄泉がえりなど試したことがありません」
「知らぬことなら知ればいい」
「ですが、マリアタ」
「求めよ、さらば与えられん。探せよ、さらば見つからん。叩けよ、さらば開かれん」
ヴラドが右手を隣に立つ少女に向ける。霧を集めたような少女はヴラドの伸ばされた手に自身の左手を乗せた。
しっとりと霧に包まれたヴラドの手が手袋越しに濡れる。
悪魔を招く呪文を唱える。
脳裏に父の罪を知り絶望しながら死にかけそれでも生を渇望した自分の姿が蘇る。
数度、呪文を唱えれば、どこかの埋葬前の棺が開き中から骨の浮き出た手が伸びる。
「呼んだ呼んだ。また俺を呼んだ。死ねない男が悪魔を呼んだ」
ケタケタと笑いながら腐りかけの屍が落ち窪んだ目をヴラドに向けて嗤う。
蓋が開いた棺桶から上半身を起こしていたが、それ以上は動かない。ヴィンツェルが遠目で半開きの棺桶を覗けば下半身は潰れていた。
「会いたくもないが致し方ない。遊びのためだ」
ヴィンツェルはこの悪魔に実害はないとはまだ決めつけずに左足の銃のホルスターと、昔ながらに使う平穏になっても手入れを怠らない痩身の愛刀の柄を握る。
自然とヴラドの前に出て腰を落とす。
「あそび。そうだな、俺も遊びたい。お前たちがどんな苦しみと渇きでウジ虫のようにのたうち回るのが面白くて敵わねぇ。」
死体が高笑いをあげる。自身の目玉から虫が湧いているにも関わらず潰れた腹を抱えてゲラゲラと下品に体を揺らし虫を飛ばしながら。
しばらく響いた声に、ひゅうと大きく息を吸い、ゆっくりと息をつくと、力が抜けたように棺の縁に仰向けに体を叩きつけた。ぐしゃ、と大きく物体がぶつかる音がする。
かろうじて残る左目が黒い二つの陰を見つめて「ウジ虫が何の望みだ」と笑みを消して鋭く問う。
「黄泉がえりを」
ヴラドが眉根を寄せて死体を見下ろしながら静かにだが重く答える。
「その小娘のか」
「そうだ」
「だめだ。面白くもねぇ」
「望みは」
「絶望だ」
死体の口角が上がる。「貴様の絶望ほど愉悦なことはねぇ」棺からひっくり返った死体がまたひひ、ひひひ…と喉を震わせる。
「貴様が何度も期待して自分を探す様は滑稽で愚かで笑いが止まらねぇ!また何か期待でもしてるのか?久しぶりだなぁ、とうにやめて惨めに這ってるんじゃねぇかと思ってたが「それ以上喋るなら頭部を潰しますよ」
嗤う死体にヴィンツェルが銃を向ける。剣を持つ右腕で銃を持つ左手を支え、狙いが狂うことのないように真っ直ぐに見据える。
「潰したところで望みは尽きるぞ!」
主人の侮辱に楯突いたところで悪魔は嗤った。
「ヴィンツェルやめておけ。こちらは願う側だ」
ヴラドは静かに制すると、「絶望か。この身を上回る絶望があるのか」と死体に問う。
「どうだろうなぁ、地獄の業火もなかなかのものだ」
ひひ、と悪魔が嗤い、思案する。
「さっさと決めたらどうです?今ここから消えるか、我々の話を聞くか」
ヴィツェルが吐き捨てるように尋ねると、屍は「そうだな、こう見えても俺は大した劇作家でな。事の顛末をお前に贈ってやってもいい。悪魔様からのプレゼントだよ、ひひ…」と大層勿体ぶって言う。ヴィツェルが頭を潰そうと足を上げたところで、ヴラドが手を挙げ制止した。
「分かった。契約しよう」
「マリアタ、死んだ娘ごときにマリアタがこんな責を負う必要はありません、契約するならば私が…「この話を持ち掛けたのはお前だろう。半端な態度で主人を誑かしたのか」
ヴラドがヴィンツェルを一瞥すると、ヴィンツェルは迷うように目を伏せた。
「悪魔よ、契約だ。この娘を黄泉がえらせてくれ」
「引き換えに絶望を。成立だ」
死体が大きく唸り叫ぶやいなや、黒い竜巻のような影が霧の少女を囲み立ち上った。地獄の底から湧き上がるような無数の老若男女の悲鳴が墓地一面に響き渡る。
ヴラドとヴィンツェルは耳をつんざくような音に顔を背けるが、それもすぐに止んだと思い顔を上げると、マリア像の墓の前に立つ先ほどまで霧だった少女が肉体を持って裸足で立っていた。
目は覚ましたばかりのような虚ろな鈍さを持っているが、思春期を迎えたばかりの少女は墓の上に立ってさえも長身のヴラドとヴィンツェルより少し高い程度で、なぜ2人の男が自分を見上げているのか分からないような顔で首を傾げて立っていた。
「どなた?」
濃い栗色の巻き毛がふわふわと少女の腰まで揺れている。尋ねたのはあどけなさの残るかすれた声だった。
ヴラドは少女が降りられるように手を差し伸べ、シルクハットを下ろし胸にあてると、「こんばんは、アリス。暗闇の国へようこそ」と軽く礼をして小さなプリンセスを出迎えた。
墓地は新月の暗闇に包まれている。
墓荒らしも怯えるほどの深い闇の夜だ。
ハイゲイト墓地のすすり泣く少女の霊は肉体を持って愛しい人を求めて彷徨い始めた。
黒と紅に染まった二人の死神を連れて。
つづく