長い長い独り言

どこにも書く場所がなく、このままでは煮詰まって感情の塊になって自分の中に残るだけなので書いておく。公開に値するものなのか(クローズの方が良いのか)分からない。

昨夜、寝る前にメールを送った。数ヵ月に一ぐらいの頻度で抑えられなくなる。電話とは異なり、相手の都合をさほど気にせずに送ることができるのがメールのはずだ。それにもかかわらず、私は考える。休日でない方が良いだろう。勤務時間外の方が良いだろう。朝はやめたほうがいいかな…。

文面の長さも考える。スマートフォンの画面でスクロールせずに読み終える長さ。言葉も選ぶ。受け取った方が重く感じないように。負担にならないように願いながら、打つ。それでも、私が打つのは相手を気遣う言葉ばかり。その言葉自体が負担になるのではないかという不安を、必死で打ち消して。

おかげで、本心の1/100程度しか言葉にできない。昨日はまだ思い切った方だ。いつもなら、その言葉すら一度書いても引っ込めてしまうのだから。仮に抑制を外したならば、どんな言葉を綴るのだろう。

散々、逡巡し勢いで送信ボタンを押した後は、さっさとスマートフォンの電源を切って独り言ちた。「私、知らない」


今朝は、おそるおそるスマートフォンの電源を入れた。いずれ返信があるにしても、そんなに早くはないだろうと思って。経験則上、返信がないことは無いと知っているから。

スマートフォンの起動後、ほどなくしてバイブが鳴った。メールの着信を告げるそれが。あーあと思いながら画面を確認すると、アドレスを示すアルファベットが目に入った。

05:41

返信があった時間だ。平日の朝なら起きているが、土曜日なので今日は寝ていた。相手は今日も出勤のため、既に起きていたのだろう。それは分かる。

それは分かるが、返信時刻を見て呟いた。

「何やってんの…」

本当に相手は何をやっているのだろう。私がメールを送ってから、まだ12時間も経っていない。なぜ律義に返信するのだろう。何を返すのだろう。こちらは、怖くてその返信を開けられないというのに。

きっと元来の真面目さゆえのことだろう。それが分かっているから、どうしようもないところまで煎じられるまでは、私は自分を抑える。私が何か言えば、今でもそれを無視しない相手であるから。

メールを送っても送らなくても、結局、私は己の行動を悔いる。返信を求めて送っているわけではない気がするからだ。だからと言って返信がなければないで、相手の身に何かあったのかと案じるに決まっている。さりとて、自分のことは後回し、体調が悪くても無理をする人なので何も言わないだろうことも承知している。

そうだと知っていても、そういう相手だと分かっているからこそ、自分のことを大切にしてほしいと、私は心の底から願っている。ご家族や仕事のためだけではない。”あなたがいるから生きていられる”(『仮面のロマネスク』「あなたがいるから」より)のだから。


口が裂けても言えない言葉を、ここに書き残した意味はあるのだろうか。

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