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新たな千里ニュータウンは,私たちの千里ではなかった

小濱くん(@TaiyaKi106)と電話をする夜.

彼は地理学徒だ.地元・岡山市奉還町の商店街で,東京の下位従属でない文化レベル,かつ新しい人のつながりをつくる.そんな夢を語ってくれる.

夜も深まり,話はいかにも地理学の話へ.

私が千里ニュータウンが好きと聞いた彼は,こんな話を始めた.

「千里ニュータウン周辺の大型商業施設の売り上げは,頭打ちに来ているらしい」

そうなのか.ならばニュータウンの未来はどう思う?と尋ねると,やはり衰退していくしかないと考えているそうだ.たしかにオールドタウンと呼ばれて久しい状況で,そんな印象は持つかもしれない.

ボクは,千里ニュータウンが好きだ.南茨木駅から大阪モノレールに揺られる.山田駅で阪急千里線に乗り換え,世界で1番の景色を眺めながら,南千里駅で降車する.まちあるきに出かけるのだ.降車すると,整然とした街並みがまるで胎内のような安心感で包み込んでくれる.

千里は衰退してしまうのか?と考えながら,ひたすら話し続けたことを,ここには書こうと思う.

そもそも千里ニュータウンとは何か.ひとことで言うならば「日本最初の大規模ニュータウン」だろうか.

各住区ごとに小学校や近隣センター,診療所群などを計画的に配置することなど,当時としては最先端の都市を目指していた.これは南千里駅となりの千里ニュータウンプラザ内資料館にて学べるので,ぜひ立ち寄ってほしい.昭和のサラリーマンたちは千里での生活に憧れて住宅ローンを契約し,せっせと返済しながら日本経済を駆動したのだった.しかし90年代は人口減少が続き,オールドタウンと呼ばれるほどの高齢化と施設老朽化に悩まされることとなった.

当時日本のニュータウンに入居した多くは,若い核家族,夫婦だ.彼ら彼女らがニュータウンに移り住んだひとつの理由として,同質性による安心を求めていたことは挙げられるだろう.同じような所得と家族構成を持つ世帯が集まるまちは,治安もよく,住民同士の話題も共通している.よって共同性が生まれる.子育ての話,夫の愚痴,色々な世間話が何度も再生されただろうが,そこに加えて,当時のニュータウンに足りないものを補おうとする運動があったことを忘れてはならない.

それは,ニュータウンの利便性向上を目指した運動だった.当時の家父長制社会においては世帯主である夫が働きに出るあいだ,家を守るのは母の役割である.彼女らは子どもを保育・幼稚園に送り出し,必要なときは医者にかかり,日々買い物に出掛けなければならない.しかし当時のニュータウンには存在しないものだった.彼女らは運動体を組織し,診療所,保育・幼稚園,塾,食料品店など,現代の生活の営みに必要な事業者を次々と誘致していった.これらは従来のムラ社会とは異なるニュータウンにおいて新たな共同性を生み出し,地域性と結びついた「地域共同体」と化すプロセスだ.

しかし,時代は進み生活が豊かになるにつれ,共同性を支えていた「不便性」は解消に向かう.住民共通の物語は空洞化していった.今になっては「防災」「防犯」「安全」といった物語を自治会でよく耳にするだろうが,逆に言えば住民共通の物語にはこれらしか残されていない.いずれも大切な要素であることは否定しない一方で,何か物足りない印象を受けるだろう.住民を団結させるためには,非日常ではなく日常の物語が必要なのだ.

社会学者の倉沢進はこのプロセスを「村落的生活様式」から「都市的生活様式」への移行と捉えている.問題発見・問題解決という共同性から,公共・民間組織による専門処理システムへの移行だ.一方,安心・安全を外部専門処理システムに移行した結果,コミュニティの必要性を若い世代が更に実感できなくなり,私たちは都心部へと逃げるように去る.

社会学者の宮台真司によれば,安心志向は「他人に任せてブー垂れる」特徴があるという.外部専門処理に依存し責任転嫁を始めたら,そこにはパブリックマインドなど最早存在しない.

以上のことから感じるのは,同質的な共同性はもはや幻想となりつつあり,従来の閉じた地域性の中で相互扶助に期待をするなど不可能なのでは,ということだ.東日本大震災後,コミュニティ・インフレーション論が蔓延し過剰な期待が寄せられたが,それを人々に強いるのはポル・ポトと変わらない.政府-自治体という父性的な押し付けの実態は,原発からバラバラに避難し平時の避難訓練など役に立たなかったという福島の「あったけどなかった共同性」に帰結することになる.

新しいコミュニティの形が問われている訳だ.共同性あっての地域共同体だが,共同性は同質性を必要とする.同質性を維持していては,高齢化で自治会は衰退し,さらなる悪循環に陥る.そこで同質性から撤退し,多様な人々を招き入れられる建築や装置が必要になってくる.

ニュータウンは前述と同じ道を辿るのだろうか.実は冒頭の「イオンが頭打ち」という話を聞いたとき,私は千里ニュータウンの底力を感じた.ここには立派なコミュニティ・シフトがみてとれる.

平日,父はせっせと働き,母は家とまちを守り,週末にはイオン,ジャスコに繰り出しては消費文化を楽しむことでアイデンティティとす.まさに,82年の糸井重里「おいしい生活」だ.このライフスタイルが地方における戦後中流の総知識社会化を支え,ニュータウンの同質化社会はまさにこの当てはまるところだった.千里の場合,日本最大のららぽーとと観覧車が万博記念公園横に鎮座している.

これら大型商業施設が頭打ちになるというのは,人口減少,もしくはライフスタイルの変化と捉えられる.しかし後述するが,千里ニュータウンの人口はなんと増加に転じている(https://newtown-sketch.com/blog/20190611-24350).私がまちあるきしていたちょうどその春,人口は10万人の大台を再び回復した.

ということは,昭和的ライフスタイルの核家族ばかりが移り住んだ50年前とは異なり,近年は単身世帯やシングルマザーといった多様な家族構成をもつ世帯が多く移り住んでいるのではないかと推測される.

さらっと言ってしまったが,これは大変なことだ.千里ニュータウンが同質化を諦め,多様なライフスタイルを持つ世代を集めることに成功しているからだ.80年代以降,デジタルネイティブ世代のライフスタイルは大衆消費社会から離れ,自分の物語へと移行した.SNSやDIYの流行からこれは自明であり,イオンとは別の多様な選択肢を持つ世代をいかに地域に移住させ,何かで繋がりを紡いでいく必要があった.

この点をディベロッパーは気づいていたのか不明だが,団地の老朽化に伴う建て替え工事は均質的な団地を高層マンションへと変貌させた.再生地処分方式(団地→高層ビルによって余る敷地を売却することで建て替え資金とする公民連携の1連の流れの1つ)の圧力も働いたことだろう.都心へのアクセスが容易でかつ高層マンションの立ち並ぶエリアともなれば,それは多様な世代を呼び込むことに繋がる.このようにして千里は人口を取り戻したと考えられる.


しかし,うーん.ここまで書いてみたけど,読者の方は以前と今の千里,どちらが好きだろうか.私は甲乙つけがたいが,今の千里のあり方はその価値を切り売りしているようにも思える。とても寂しいのだ.

南千里駅近くにある千里ニュータウン資料館で聞いた話では,土地を切り売りすることに自治会の間では団地・一軒家共に反発が根強い.団地はその土地の多くを民間に明け渡してしまうわけで,自然に恵まれかつ均整な団地,囲み型住棟配置,貴重なクルドサック・・・これらの多くが失われることになる.一軒家も千里の場合は1軒あたりの面積が非常に大きくこれこそ固有の価値なのだが,遺産相続の際に税金対策で3分割するという場合もある.このように千里ニュータウン固有の価値を切り売りすることで確かに人は集まるのだが,60〜70年代の頃のような千里ニュータウン固有の価値とは全く違う次元の人の集まり方なのだ.「千里に住みたいから住む」人はおそらく劇的に少なくなっているだろう.

千里には実は争いがある.吹田市民と豊中市民の争いだ.このニュータウンは2つの市を跨っており,「豊中の方は学校に第1なんて名前つけやがって,調子に乗ってるな」などという意味不明な言い争いが存在する。私はこの手の話題を聞くと決まって苦笑いをするが,一方でそんな住民が好きだ.住民自治の領域次元におけるこの種の言説は,シビックプライドの裏返しであるとも捉えられるのだ.彼ら彼女らは本当に「千里に住みたいから住んだ」のだろう.

介護の現場において,90年代は介護者の質がよかったという言論がある.当時は社会奉仕の意識の高い者が多い職業だったようで,きつい仕事でもやりがいを感じて従事する意識があったと考えられている.ところが近年の人材不足は,介護へのやりがいを感じない労働者を介護現場に氾濫させるきっかけとなった.入居者を介護者が暴行する・2階から投げ飛ばす・津久井やまゆり園の植松聖のような殺傷事件に発展する・・・これらのような事件が跡を絶たないのは,以上のような背景があるというのだ.

介護の現場を千里ニュータウンに当て嵌めよう.ここでいう介護のやりがいとはシビックプライドを指す.僕は大阪市内はもちろん好きだが,ベッドタウンとしての千里ニュータウンも好きだった.固有の価値とシビックプライドが感じられた.しかし今は不安だ.まちの統計的な発展とは裏腹に,価値とシビックプライドを売却している.大阪市内の単なるベッドタウンと化しつつあるということだ.

地方の没個性化と都心従属化が嘆かれ久しい.しかし千里はそれが現在進行形で発生している.確かに人口はある程度は維持できるだろう.ただそれはあくまで大阪市内のベッドタウンとしての話だ.そこには千里ニュータウン自身が発する求心力は存在しない.僕はヨリアイというまちづくりをテーマとした創発コミュニティの中で,人口の多さよりまちのツクリテ率を高めようという意見を標榜している(関西のメンバーから受け継いだものだ).今の千里は,それが急速に失われつつある.

だからこそ大阪北摂部において,ヨリアイのような活動は価値がある.これは別のnoteでも記すが,ヨリアイは京都には必要ない.和菓子屋と仕出し屋が多く残ることは,寄り合いが地域で行われている証左だ.没個性化しシビックプライドが急速に失われている場所,地方都市とニュータウンで.ヨリアイ的な創発の回路,問題発見と問題解決を通し,個性とシビックプライド両者の回復,そして新たな共同性が求められる.

千里には何の手出しもできない.しかしその教訓は,高崎で創発の回路をつくるよう私を駆り立てるのだ.

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