1984

いきててエラい!!

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パラレルワールドの私たちへ

生きづらさは社会のせいなのだろうか。 僕は自分がどの時代に生きていても生きづらかっただろうなと思う。 僕は生きづらさを抱えたまま、それを陶冶することによって、時々やってくる「ユリイカ!」に期待している。世界の真理に触れる喜びを噛み締められる。 もちろん苦しい。しかし、もし生きやすくなってしまったら、僕は何を生み出せるだろう。 僕はいつどこに、何度生まれ変わっても生きづらかっただろう。 そして、僕はそれを肯定する。それによって、僕は全ての並行世界の〈僕〉を全面的に肯定

    • ケアとしての“霊性”という空間〜フェミニスト地理学における「両性具有的」転回〜

      要旨  本稿は3つの論点を持つ。 ①三島由紀夫の発言「タテ糸が“創造(芸術)”だとすると横糸が“礼節”だ。その2つの交点に “霊性”が宿る。」の文面化を受けて、“霊性”“創造”“礼節”という3つのキーワードが何を意味しているかの検討・考察である。 ②本稿においては“創造”を“父性”、“礼節”を“母性”として読み解き、ケアの倫理を参照して“父性”と“母性”が個人の内面に交わる「両性具有的な自己」に“霊性”が宿ること、それによって三島の「政治」と「文学」が接続されうることを

      • 怠けている蟻は問題なのか

        昨日は写真部で東京に行ってきました。 サムネイルは東洋大4年・Rural Labo副代表の西村くんが撮ってくれました。 本当に切り取り方が上手で嫉妬しました(笑) さて、昨日の電車の中で少し考えていたことを言語化したいと思います。 組織に属していると、組織の問題というのは頻発します。 しかし、それは本当に「問題」なのかな?という審美眼は、持ち合わせていたいところです。 例えば、1人か2人がみんなで決めたことを守らない場合。 「働きアリの法則」というみんな知っている

        • 溢液

          私が去年に撮らせてもらったこの写真。

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        パラレルワールドの私たちへ

          集団のためのエチカ(倫理)について

          幸せになる方法って、あるんだろうか。 そもそも幸せって何だろうか。 私は生まれてからずーーーっと、幸せになりたいと願って生きている。 ちなみに僕は、幸せになる方法なんてずっと分からなかった。 強烈な生きづらさを感じる日々が続いた。 そこから這いあがろうとして、強烈な痛みを伴い続けた。 でも、確かにその先に、見えたものはある。 この記事は、それを学問ベースで整理する試みだ。 かつ、下記のリンクを更に詳細に記述する試みでもある。 おそらく、かなりの長文になると思う(およ

          集団のためのエチカ(倫理)について

          カール・シュミットと「仲良しごっこ」

          前回のnoteでは、目的的な姿勢が取りこぼしてしまう、サークルの存在意義について論じた。加えて、大切な心構えみたいなものについても少しだけ触れた。 「コレクティフ」のコアとなる定義を、今一度おさらいしておこう。 できる限り少ない目的性の中で、集団の構成員の個々人が目的的な義務感に苛まれることなく、イキイキと動けている。それが結果として全体のまとまりを構築している状態だ。 ジャン・ウリは制度精神療法を通して、ラ・ボルド病院のサークル活動においてコレクティフを実現のものとし

          カール・シュミットと「仲良しごっこ」

          目的への抵抗

          「サークルの目的って、なに?」 サークルに所属していると、目的について考えることが、きっと誰しもあるのだと思う。 弊写真部もそうだ。というか、写真が1人でも撮れるものだという特性上、むしろ他の文化サークルよりもこの目的性に悩まされることが多い。 目的、たしかに大事なものなんだと思う。でも、とっても怖いもの、とも思う。 むつかしいことは僕にもわからない。 けど目的って、資本主義における生産性が前提だったりする。 かつ,いろんな曖昧なものを限定してしまうもの。 僕た

          目的への抵抗

          「歌う」ことと、写真を撮ることについて

          最近思っていることを書きます。 不特定多数に人に読んでほしくはないので、インスタのストーリーであんまり拡散されないようにしました。 昨日は高崎経済大学のglee clubさんの撮影でした。 撮影とは言えどもリハーサルのようなもので、本番の失敗しづらさより気は楽でした。 うかてぃもあやちゃんも可愛かったし、やまゆーさんも貴島くんもすごくかっこよかった。私も高校時代は聖歌隊だったので(部活を5つやっていた)、撮影なんかしてないで混ざりたいのが正直なところだった。おにぎりもくれ

          「歌う」ことと、写真を撮ることについて

          新たな千里ニュータウンは,私たちの千里ではなかった

          小濱くん(@TaiyaKi106)と電話をする夜. 彼は地理学徒だ.地元・岡山市奉還町の商店街で,東京の下位従属でない文化レベル,かつ新しい人のつながりをつくる.そんな夢を語ってくれる. 夜も深まり,話はいかにも地理学の話へ. 私が千里ニュータウンが好きと聞いた彼は,こんな話を始めた. 「千里ニュータウン周辺の大型商業施設の売り上げは,頭打ちに来ているらしい」 そうなのか.ならばニュータウンの未来はどう思う?と尋ねると,やはり衰退していくしかないと考えているそうだ.

          新たな千里ニュータウンは,私たちの千里ではなかった

          生まれ育った場所を肯定すること

          私が同年代で最も尊敬する知人の1人である、かいくん(@kaikyou1223)。 一昨日、彼はこんなnoteを公開。 大阪でも宮崎でも爆発的な活動力と人望を持つ彼の原動力、たしかに意外と聞いたことがなかったかもしれないと思いつつ、共感する部分も多々ありました。私もまちづくり分野に関わりたい者の一端として、その想いがこの記事のおかげで更に言語化できるようになった気がしました。 今回のnoteは、なぜ私が地域に関わりたいのかについて(甲斐くんに触発された!)。ただ、甲斐くん

          生まれ育った場所を肯定すること

          コミュニティに私たちはこれからも夢を見るか

          立命館大学を退学したわたしですが、立命館時代は防災とコミュニティの関係に興味関心がありました。 コミュニティ防災という言葉がある中で、時代はコミュニティの強化とは逆向しています。都市部に行けば行くほど、その住民間のつながりは弱くなります(説明は後述)。一方で田舎はコミュニティが強いかというと、村八分の雰囲気ははっきり言ってロクなものではないし、高齢化で限界を迎えていると言わざるを得ないと思います。そんな中で、地域コミュニティやソーシャルキャピタルといった人とのつながりが、政

          コミュニティに私たちはこれからも夢を見るか

          防災に「将棋」を取り入れると

          「避難所の体育館で救護活動をしたりするんですけどね、子どもたちが走り回ったりするだけで治療もままならないんですよ」 2018年・夏。鶴橋にある大阪赤十字病院の国際医療救援部国内救援課で取材させて頂いた際に耳にした言葉だ。 「体で突っ込まれたら危険ですし、床を伝った振動だけでも治療に支障がでます」 取材させていただいた方はロジスティクスを専門としていたが、熊本地震や大阪北部地震といった卓越した経験からだろうか、災害医療の最前線についても教えてくださった。 災害時の

          防災に「将棋」を取り入れると