映画「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」
この記事の文章を考えていたら、こんな時間になってしまいました(泣)
でもどうしても今日書きたいことが!それは、、、
先ほど、「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」という映画を見てきました!!!
見てきた勢いのまま書いてしまっておりますので、内容については悪しからず(^_^;)
感想:メタ祭り。脳汁強制噴射不可避!それとジョナサン・プライスの声がいい味出してるっ!
メタだらけでもう、私の大好物でした!
普段映画を見たり、小説を読んだりするときには、作品に込められた思想にのめり込んでしまい、探求の道まっしぐらになる私ですが、
それがメタフィクションの作品となると、難しいことは置いておいて、「おもしろいってだけでいいじゃん!!と楽になれるのです(笑)
虚構の世界が、自分たちを虚構であることを認めることで、現実にそれを見ている人に挑戦をしかけてくる、、、。
↑すぐ変なこと言いたがるの許してください(笑)
思えば、私にメタフィクションを教えてくれたのは、イタリア人作家のイタロ・カルヴィーノ著「冬の夜ひとりの旅人が」という作品でございます。読者を物語に引き込む引力は、まるで魔法の様です。物語の内容自体も面白いのですが、やはり記述の仕方が魔術師のそれなのです。
話を映画に戻します。
以下、映画について色々と書いています!見てらっしゃらない方、見る予定の無かった方にも、興味を持って頂けるように、書いたつもりです(^_^;)問題ない範囲だと思いますが、ネタバレになってしまうかもしれませんので、ご注意ください。
主人公は、学生時代に、卒業作品として、スペインに行って、「ドン・キホーテ」の映画を撮りました。今はCM作成の監督?をやっています。
時は過ぎ、その映画で「ドン・キホーテ」役を演じたおじいさんは、頭が変になって自分が本当のドン・キホーテだと信じてるし、ドルネシア(仮)役のお嬢さんは、女優を目指して親不孝者になっちゃってたんです、、、。
その自称ドン・キホーテおじいさんから見えてる世界と、彼の語る自叙伝と、主人公の見ている現実と妄想と、また彼らの夢と、映画の中での「今」と「過去」が、交錯していて、映画を見ている私たちは、何がどうなっているのかわからなくなってしまいそうになりつつも、その世界観にのめり込んでいきます!←ここ、今日一緒に映画を見ていたお客さんたちを、メタ化しています(笑)
主人公は、自分が作った映画が発端で、出演してもらった人たちを壊してしまったことに罪悪感を抱きながらも、夢を持って生きている、彼らのたくましさや純粋さに、なんだかんだありつつ、最終的には胸を打たれたのでしょうかね。そーんなような描写があったようなー。あくまで個人的な解釈ですが。
でもラストは衝撃でした(笑)
恥ずかしながら、原作のドン・キホーテは未読のため、これから挑戦したいなと思っています!
それでは!お付き合い頂き、ありがとうございました<(_ _)>
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