断片 わりといきいきしている
毎日の充実、これはどうしたらいいのですか、得られますか、みたいなことはたぶん広く考えられているところであろうけれども、そんなのはなにか趣味でも見つければ解決するんで、私個人は悩んでいない。無趣味だった昔の私は精神生活が貧しかったですね。酒飲んでただけだったですね。なにか打ち込むことができればいいんじゃない。そしてそれを自分の聖域にするのだ。つくるのでも、つくられたものを楽しむのでも、体を動かすのでもなんでもだ、人生は楽しめってけっこうみんないってるからねぇ。日々をいきいきとやれれば素敵よね。
さてiPad Airの話なのだが。無事に使えてここ数日はそれで文章を書いている。捗る。とてもいいものだこれは。メインはパソコンになってくるが、メインがメインらしくなくなるほどにこのサブマシンが活躍している。キーボードがあるだけでこんなに違うのな。たいしたもんだなあ。作業効率化っていう言葉がキラキラしてるじゃんかよ。こんだけできたらもうなんもいらんわ。いい小説も書けるんじゃないのかしらね。ただpagesの画面だと文字が小さいので、いや設定次第のとこかもしれんが、やっぱりwordを入れるべきかもわからんね。サブスクか買い切りかで迷うんだけども。ひとまずのところ、こうした断片、雑文たるものはpagesでいいやと。
役所にまだ行ってないのだった。もたもたしている。なにをそんなに、みたいな寝かたをしているゆえ動きが悪い。春だから眠いんだねー。そうなんですねー。桜もぼちぼち満開となることでしょうし、卒業シーズン入学シーズン就職シーズンとありますが、人生それぞれありますから、なんかやってったらいいんじゃないの。人間は完全には自由ではないが部分的には自由なんで、その許された自由の部分では何やってもいいんじゃない。すごいことよ、自由なのは。自由の度合いが高いということは。そういう人生の時間をどう使うかってね、それを考えるために勉強というものが本来あるはずなんだけど。なんか学校では教えないよねそういうことを。
ルドルフ・ゼルキンのモーツァルトボックスを聴いている。アバドとやったピアノ協奏曲集。ほれぼれよ、このシルキーな美しい音色に。そこでピアニスト、いったい誰がいちばんいいのか、最高のピアニストは誰か、みたいな話になるとややこしくなる。ざっと名を挙げればルービンシュタイン、ポリーニ、ホロヴィッツ、アルゲリッチ、アシュケナージ、バドゥラ=スコダ、レオンスカヤ、リュビモフ、チッコリーニ、ケンプ、バックハウス、リヒテル、ミケランジェリ、フランソワ、グールド、カッチェン、ほうら、これだけでももう手に負えないじゃないですか、いちばんのピアニストを選ぶなどとは。ここは各自のお気に入りを愛でればそれでいいんじゃないのか。誰がなんといおうと吾輩はこのピアノを聴く、みたいな厳しい覚悟も鑑賞の態度として必要になってくるのかしらん。なんだか険しいね、音楽を聴くという道も。
どうやら文章を書いている日でも本を読めるようなので、最近はそうしている。ついこないだまでこれができなかった。書いたらもうくたくたで読むどころではなかったのだ。それがいまなぜかすっとできてきているという、いってしまえば摩訶不思議アドベンチャー。スキルが身についたのかもしれんね。もう怖いものねーよ。読み書きをする人生、それだけに的を絞って作業していくんだし、どんどん読んで書いてとね、そうして経験値稼ぎをしてレベルを上げてと。行こうそれで。