小説の爪とぎ 12
九月の始まりから買いものばかりしている。必要なもの、必要でないもの、楽しむためのもの、楽しませるためのもの、先月末にポチったものも含めて届き始めている多様な品々。こうしている場合ではない。月末ラスト一日は用事で潰れたので、締切までは実質ジャスト四週間ということになった。いかんいかん。もう本気出さなきゃいかん。焦りと恐怖。ここから必死ぶっこいていこう。
メモパッド殴り書きは昨夜もやっていて、五十枚一組のものを書きつぶしていた。あれはなんだったのか、なぜ殴り書きをそんな大量に。小さな紙面にわっと踊るたわごとの文章たち。趣味なのか、と思う。これは仕事ではないしなんらかの義務でもない。楽しんでやるような遊びに近い。じゃあ趣味じゃん。このようにして新しい趣味を見つけた。雑文殴り書きである。
とはいえ殴り書き自体はとあるノート術と自己流の書きものでやっている。なぜメモパッドをわざわざ、というと、ノート術などはノートに書くものなのであって、そのノートの大きさがやはりある程度はある。これを埋めるのには多少気合いがいる。そこへメモパッド、これは小さいから書くとすぐ埋まる。ガッと書ける。殴り書き度が上がるというか、脳からの直結回路というのか、より好き勝手に書けるようなのだ。書いたあとベリッとはがしてすぐに次の紙へ行けるのも快感。そんな趣味。
趣味というのならnoteに書いているのも趣味みたいなものですなあ。誰がこれ読むのかわからんよ、という情報価値の曖昧さ、または低さ、何かを差し出そうとか人様の役に立とうとしない志のなさ、まったくとんでもない話である。小説ではそうはしないのだけれども。広く読まれるものとしてなんとかしようとしてますけれども。人様の役に立つ何かを小説でって話。
ラローチャのボックスはアマゾンで買えた。結局買えたんだけれども、しかしまあCDショップに置いてないものがなぜかアマゾンにあること、またはCDショップより安く売ってることやら、それらの事実、何か複雑であるなあ。CDは専門店だけを見ていてはいかんのだな。手広くサーチしてうまいことゲットだ。必要であれば足も使う。町の中古ショップなんかもおもしろいものだし。