雑記 人格のヌケ感
親戚の家へ招かれたので、こないだ酒を持っていってわいわいとやった。リビングにピアノがあった。飲んでる勢いで「俺もピアノ弾けますよ」と私はいい、「一曲だけ」とつけ足していった。時間が遅かったので飲んでる間は弾かせてもらえなかったが、翌朝になってさあどうぞということになった。
弾けるはずだった。猫踏んじゃった、正式な曲名は知らんのだが、それだけは昔から弾けるたった一曲の曲だったのだが、いざ数年ぶりに鍵盤に指を置いたらばもう無残なもので、ギリギリ曲が判別できるレベルの代物、これじゃあねえ。残念な結果となったがもう仕方ない。のち親戚はブルクミュラーを見事に弾いて、いやはや。すばらしいじゃないの。
ともあれかっこ悪いところになったが、これでもしショパンだのバッハだのを弾きこなしてたらどうだ。いや、そんなの普通にかっこいいが、猫踏んじゃったが弾けないかっこ悪さはいい感じのみっともなさ、なんというのか、そのダサさ、だらしなさで相手の気は緩むでしょう。そこが唯一、失敗の中の成功だったんじゃないか。
服に「ヌケ感」というものがある。フォーマルすぎない状態というか、気楽なところがある服装というやつだろう。セットアップにTシャツだとかスニーカーだとか、ドロップショルダーなんかもそうか、そういうようなことが気楽に見えるのだ。親戚の家で、猫踏んじゃったが弾けなかったことがいい感じのヌケ感となったと思えば、それはむしろオサレであるか。好感度があるか。ガチガチにかっこよかったらちとよろしくない。すごすぎると引かれる。弾けるもんなら弾きたいですけど。ショパンにバッハにシューベルトにベートーヴェンと。
さてその滞在はとても楽しかったんで、酔いつぶれての一泊でしたけど、まああまり失態をやらかしていない限りまた呼んでもらえるであろう。また楽しいぞう。おもしろいぞう。一泊の旅のようなもの、日常と現実感を取り戻すのに数日かかった。よほどの非日常だったのだなあ。たまにはそういうリフレッシュが必要でしょうね。
そうしていままた日々、日常、常態を生きております。日常もまた楽しい。
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