断片 才能論、努力論、運勢論
創作に三大要素があるとする。それを才能、努力、運勢、として語ってみる。これらのことはいままでも書いてきたのでうるせえかもしれんが、まあほとんど自分のためにまとめておきたいだけなので、ちょいと書かせて。まず才能。これは寂聴さんがいってたところでは、好きなことは続けられる、それがその人の才能である、本当に好きであれば成功する、と本にあった。このあたり佐藤優も同じ趣旨のことをいっていた(本当に好きなことをやっていれば必ず食える)。転じて花村萬月いわく、センスがすべてだ、という。これらをまとめれば、才能とはその人が好きなことであり、それを続けられることであり、本当に好きならば成功する、ただしセンスがすべてである、となるか。なお、名越康文いわく「本当の才能は「誰からも才能を見出されない助走期間」によって育まれる」。
じゃあ努力はどうか。幸田露伴に『努力論』という本がある。超訳もので手軽に読んだが、「人間も自分の好きなことや趣味に素直に従っていけば、自分の持ち味を存分に発揮できる」という一節があり、ここでも「好きなこと」というのがキーワードとして出てくる。また一般に、毎日やっていることは自然と上手になる、というのもよくいわれることで、継続は力だという意味では才能の話と重複するのだが、努力も続けることで積み上がるものがあるのだろう。好きなことを続けましょうと。再び幸田。「人は学べば大となり、学ばなければ永久に小となる」。ただ何かを好きなだけでなく、学びの努力をしていくことも大事なことなのだろうから、ここはおろそかにできない。いったい努力がなんなのかって、自分を磨くこと、鍛えることでしょうし、学習や練習がそこに当てはまる。
運勢論、という言葉があるのかどうか知らぬが、三大要素の最後、単純に運の話である。これほど簡単でかつ難しいものはない。簡単だというのは、ついてるやつはついてるし、反対にそうでないやつもいるのだ、とだけいってしまったら話が終わるからだ。じゃあ難しいのはなぜか。ついてない状態をついてる状態へともっていくときに何が果たして条件となるのか、そこの答えがあまり見当たらないのだ。最近ポーカーの名人の本を見かけたが、プロのギャンブラーは運に敏感に対応できることだろう。だがギャンブラーではない私のごとき場合、運を味方につけることはなかなかわからない。ただひとつ、人との縁が運を左右することは確かなようだ。運を分けたり運んできてくれる人を見つけて捕まえること、これがひとつ確実か。以上、創作における才能と努力と運についての現時点でのまとめです。
ひさびさにドビュッシーの全集を流している。演奏はチッコリーニ。なかなかすばらしいピアノを聴かせてくれる。ドビュッシーは作風や雰囲気の特殊性から、うまいか下手かがけっこうはっきりわかっちゃうような気がする。チッコリーニはうまいと思います。これがミケランジェリになると魔術や魔法になってくるので、あれは別物として分けておかないといけない。あんまり聴き比べてないんで詳しくはいえないんですが。ホロヴィッツも弾いてたっけか、忘れた。
新聞の新刊案内を見ていて欲しい本をメモることになった。三冊ほど欲しくなった。これは本屋へ行って現物を見てきましょうの段。西村賢太の遺作が出てるね。それ買っておこうかなと思う。あとは坂口恭平のツイッターまとめ本のようなやつが気になってメモしてある。早く本屋へ行きたい。でっかい本屋がいいね。楽しいからね。