『千両役者浮世嘆』 第十一幕
第十一幕
この放課後、きわどい話をしている中、タチバナ先生の徴候に目を配っていて、なんとなく思い当たった。たくさんの人間を見た教室での商売で培われたものか、ある種の勘のよさが俺にはあるようだ。俺の言葉への反応が意味するところを、漠然とつかみとることができるような気がするのだ。
たとえば俺に迫られているいま、タチバナ先生は「毅然としなければならない」と思っているようだ。だが心の奥はまた別の思いがあるように見えた。瞳の動きやわずかな表情など、徴候がそれを知らせている。
ビデオの映像のフラッシュバックがちらつく。数多見てきたあの光景を自分の手で作り出そうとしていることに、少し震えが来た。
「そういうことに興味を持つのも仕方ないからね、年頃なんだし」
タチバナ先生はあくまで冷静なふりを続けた。
「教師としていうわ。他を当たりなさい」
「他って、男しかいませんよ」
「でも、かわいい子もいるでしょ」
「勘弁してください」
「じゃあ女子校の文化祭にでも行って、そこで引っかけたりすればいい」
「俺はタチバナ先生がいいんです」
息をのんだ人間を何人も見てきたが、タチバナ先生がそうすると艶が違った。目を少し大きくしたあと、顔をそむけて黙った。
俺は何日かかけて口説いてみた。やがてある日の放課後、誰も保健室に来ないような状況で、赤茶けた夕陽が窓から差す中で目的は果たせた。
ふたり乗るとやけに軋るベッドから降り、俺たちは服を身につけた。タチバナ先生は髪を直しながら冷蔵庫を開けた。中にあったパックのジュースをふたつ取り出し、ひとつを俺に渡した。青汁のジュースだった。
「健康的ですね」
「そうね、ここは保健室だから」気だるげにそういってストローをくわえた。
それからも放課後になると、状況の許す場合に限りベッドを揺らした。当然だが、ビデオの映像を見るよりもずっと楽しいものだった。タチバナ先生が声を殺すその顔がたまらなかった。
ただ、こういうことを自慢できるようなやつがいないというのがつまらなかった。誰かにいえばそれは伝わり、なんらかのけじめをつけなければならなくなる。タチバナ先生は解雇されるだろう。ことさら口止めされているわけでもないのだが、秘密であるということは俺も重々承知している。
教室での商売を続けているうちに不良たちと知り合った。一応は進学校なのだが、そういうやつもいるものだ。あいつらはおもしろいことが好きだ。俺の商売についてもおもしろがっていて、いくら稼いだだの仕入れはどうだの、そういうことを訊きたがった。欲しがるやつには売ってやった。買ったそれを地元の仲間に又貸ししたりもしているようだったが、それはそいつの自由だ。
クラスでは妙な騒ぎがあった。イズチが風俗店に行ってきた、という話が上がったのだった。教室の後ろのドアのあたり、イズチを囲むクラスメイトたちの狂騒。ドラクエなんかのゲームの、村に帰ってきた勇者みたいだ、と思った。
俺もギャラリーのそばへ行って話を聞いてみた。どんなプレイだったのかとか、かわいかったのかとか、どこの店だとか、質問攻めに遭っているイズチは、ややニヤニヤしながらも淡々と答えていた。
歌舞伎町の店だそうだ。あの町はイズチの歩き慣れた場所だから、気軽にどこへでも入れるのかもしれなかった。
騒ぎが落ち着いてからイズチ本人に訊いてみると、ともあれお楽しみだったようだ。
「何されるんだ、ああいう店。中学生相手に」
「ひとしきりエロいことをされたね」
「お姉さんか」
「お姉さんだった。かわいかった」
「羨ましいもんだな」
「アズロもどう? カネはあるんだろうし」
「いや、俺はほら」といいかけて黙った。タチバナ先生とのことはこいつにもいえない。イズチは怪訝そうにした。
「本番はありだったのか?」
「それはなかったね」
内心ほくそ笑んだ。俺なんてしょっちゅう本番だ、といってやりたいところだった。そんな優越感がある。
それはそうと、とイズチ。
「注文来てるよ。書いておいたから」
と一枚のルーズリーフをよこした。リストに注文がずらりと並んでいる。さて、仕事だ。
(続)