10/23 人が嫌がる仕事
小学校のとき先生から「人が嫌がる仕事も率先してやりましょう」と言われていた。学級委員や生徒会長を拝命するようなバカ正直で生真面目な少年はそれをしっかり守って、掃除片付けとかゴミ捨てとかやっていたもんだ。
どうやら、人がやりたがらない仕事というのはどの国にもあるらしい。
カリブ海の国、ハイチの首都ポルトープランスで、衛生環境の維持に欠かせない仕事をする人たち。それでも、自分の職業を人には言えないでいる。
人に言えない仕事、それは「トイレの汲み取り作業員」だ。現地の言葉では「バヤク」と呼ばれているらしい。
バヤクたちの境遇からは、排泄をめぐる問題が垣間見える。人に石を投げつけられるので、多くのバヤクは夜間に働き、自分の職業を家族にさえ隠す。とはいえ、バヤクは高報酬の仕事で引っ張りだこだ。
夜中に仕事をはじめ、夜が明ける頃には目が腫れ上がってほとんど開かなくなってしまうそうだ。読んでいるだけで過酷な仕事であることが分かる。もはや高給であるからどうこう、という話でもない。
そんな彼らに石を投げてしまう人たちは、どんな思いなんだろう。下水道が整備されていない土地においては、彼らの仕事は環境を衛生的に保つことで貢献しており、褒められることはあれど貶められるようなことはなさそうではあるが、そう簡単にいかないのが人間なんだ。
他にもネットで少し探してみるとイギリスの”と殺場”で働く記事を見つけた。
日本では”と殺”に関する話は部落差別との関連もあって大っぴらに語られることはまずない。現在これだけポピュラーになった”ホルモン”も、もとは食肉加工の過程で捨てられていた内臓を食用として再活用したのがはじまりとよく言われているし、「放るもん」から来ているという話だ(諸説あります)。必ず差別とセットで語られる、ある意味タブー的なテーマなんだ。
最近の子どもは、スーパーで見かける魚の切り身を見て「この魚が海で泳いでいるの?」なんてことを言ってのけるらしい。それは魚じゃない、切り身なんだ。
牧場に行って目の前にいる大きな牛さんと、普段ファミレスで食べるステーキ肉が同じだなんて夢にも思わないかもしれない。そもそも、誰かが「牛さん」を「お肉」に変えているだなんて、信じないかもしれない。いま日本で生活する我々やその子どもたちなんて、おそらくそんなもんなんじゃなかろうか。
なんで、このようなテーマに興味を持ったのだろう?俺もよほど仕事に悩んでいるのだろうか。
職業選択の自由がある世の中だが、誰もが好きな職業に就ける訳ではないことは誰もが知っている。それは、境遇なのか、能力なのか、それとも運なのか、その全てなのか。人は生きるために働くが、働くことが喜びである人がどれだけいるだろう。
誰もが羨む大手企業に入ったとしても、そこで務める仕事や人や環境が自分にとって合っていなければ苦痛だし、人に誇れるものにはならないだろう。誰かが「その仕事(会社)いいね」と言ってくれることだけが、拠りどころになってしまうかもしれない。高給だからってやっていけない仕事が世の中にはあるということを、ハイチに住む「バヤク」の人たちは教えてくれる。
これだけ世の中がフラットになり、テクノロジーが我々の生活を豊かで便利なものにしたのに、幸せに働けないのはどうしてなんだろうか?AIが発達してエクサスケールが実現したとき、我々は生きるための仕事をしなくて済む世の中がくるらしい。それはいつだ?
現代社会では、全ては自分次第だと言われ続ける。言われ続けた人はどうなっていくんだろう。我々が日々目にする成功した人たちは自己責任の世の中を逞しく生きぬいてきた人だ。じゃあ、我々が目にしない人たちは?普段道ですれ違ったり、何気なく横にいる人たちは?どうなんだろうか。
なんでこんなことばっか考えるんだろうか。めんどくさいな。
ちなみに冒頭の記事はNational Geographic5月号に載っていたものです。