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自分を俯瞰する自分

幸せになりたいなら幸せになろうとしてはいけない No41 観察する自己の視点

 おはようございます。
 晴れ間が楽しみな今日の天気です。

 世の中の動きがまた少しギアチェンジしてきた気がします。そんな世界と自分を俯瞰する、という今日の話です。

観察する自己はすべてを見ている

 観察する自己とは、あなたが思考や感情を観察する視点でした。筆者曰く、それは、純粋な気づきと呼べるべきものだそうです。

 思考やイメージ。心地よいもの、苦痛なもの、役に立つもの、邪魔になるもの。感情や感覚。時に悲しみ、幸福を感じ、健康を感じたり、病を感じたり。

 心と同様、体も変化している。本書によると、皮膚は6週間で新しくなり、肝臓は3ヶ月ごとに入れ替わる。実に、毎年、全身の原子の95%は新しいものになる、といいます(げ、原子!?)。

 人生における役割も変わり続ける。家族の、仕事の、交友関係の、それぞれの立場で。今は、読書である、乗客かもしれない。

 しかし、変化しないものもあるのだと。それが、観察する自己。それは全てを観察し続ける視点であり、視点自体は決して変化しないのだと。定点カメラみたいな感じでしょうね。私の自宅の近くに多摩川がありますが、いつも多摩川を映しているカメラからネットで映像を観ることができます。あんな感じで自分を眺める視点。

観察する自己の役割

 それは、単に行動を観察し、気づきを促すだけ。観察する自己は、判断を下さない。何の責任も負わない。先の定点カメラのように、穏やかな多摩川、カラカラの多摩川、溢れそうな多摩川を、ただただ映す。「危ない、逃げろ」とか言わないし、「今日の多摩川指数」とかも表示しません。物事をあるがままに観る。

 それは確かにあるのだと筆者は言います。例え、宗教的だとかスピリチュアルだとか言われようと、その他の言われ方で言われようと、そこに純然と在るのだと。

 まず、その前提を疑わないこと。
 それでは、また明日。

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