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意識せずひと息で書いて。
谷川俊太郎『空に小鳥がいなくなった日』(株式会社サンリオ)
谷川俊太郎の名前を初めて目にしたのは国語の教科書だった。
小学校2年生の時分、『スイミー』というレオ・レオニ作の絵本、谷川俊太郎翻訳のものが教科書に掲載されていた。私はこの話がとても好きだった。異国の物語が日本語で読めるということに当時はとても感動していた。翻訳という仕事があるのだと知り憧れもした。どんな人なのか先生に聞くと「詩人でもありますよ」と言われ、歌の歌詞とは違う、詩を書く、そんな仕事もあるのかと驚いた。
2年後、近所の本屋にて平積みされた谷川俊太郎の詩集を見つけた。
「谷川俊太郎……スイミーの人だ」祖母に無理を言って買ってもらったその日、11歳の私はページをめくり「詩」というものを初めて読んだ。それまで読んでいた物語、起承転結のあるものとは違う。理解できないものもある。しかし読めば読む程に心の水面に波紋を生む言葉の羅列に新鮮な感覚があり興奮していた。小遣いを貯めては少しずつ谷川俊太郎の詩集を集めながら他の詩人にも興味を持ち、気付くと机の棚は受験の問題集や参考書より詩集が占めるようになっていた。
14年後、山口市の美術館に谷川俊太郎が来ると知り当時福岡在住だった私は『空に小鳥がいなくなった日』を鞄に入れ山口市まで足を運んだ。トークと朗読会の後、サイン会があった。
この頃、詩集の中でも特に好きだった一編の詩に曲をつけ、ソロのライブでいつも演奏していた。長い列に並んでいる最中、何を話そうか、あれもこれも伝えたいと考えているうちにあっという間、目の前には谷川俊太郎がいた。「あの……初めて買ったコチラにサインを一筆入れて頂きたいです。”にわ”という詩がとても……好きで、私は歌をうたっているんですが曲をつけて勝手にですが……うたわせて頂いています」
憧れにも近い人に会えたことで興奮していた私はテンパリ過ぎて一方的にベラベラと話し出していた。が、一方心の中では「あぁ……24歳にもなってダサい……」と既に後悔し俯いていると「あらぁ、ありがとう。いいじゃない。印税とかはどうしてるの?お金が発生したら僕にも連絡してね」と笑顔と共に返ってきた。「音源にする予定はなくて、あの、なんかすいません」しどろもどろで返すと「いいや、いやいやほんとにありがとう。どんどんうたってください」と今度は真顔で返された。「私は詩ではなく歌詞を書いています。にっちもさっちもいかなくなった時、そういう時谷川さんはどうしていますか?書けないなんてことあるんですか?」無礼な質問だと思いながらも止められなかった。この機会を逃せばもう、私の人生で会うことはないかもしれないと思った。「書けないなんてことを思ったことないですねぇ。言葉はただそこにあるんだから意識せずひと息で書いてみたらいいんじゃない」始終笑顔で答えてくださった。「そうすると同じ単語ばかりつい書いてしまうんです」「それでいいじゃない、いけないの?その単語があなたにとって大切なものを指す何かなのかもしれないよ」私は感極まり迷子になった子供かよという程に号泣していた。見汐麻衣24歳の冬。鼻水と涙で溶けた顔面はどう映っていたのだろう。今思い返しても恥ずかしく「ぎゃぁぁぁぁ!!!」と叫びたくなる。
その夜、ホテルに戻りサインの入った詩集を何度も閉じたり開いたりしては酒を飲み、さっきの出来事を反芻しては恍惚とするを繰り返している中で
この先またお会いできることがあるなら、出会うべくして出会えるという道筋を自分で作っていくしかない。やりたいことを愚直にやっていく先でその時が来ることそれが自然なことなのだから自分の人生には嘘をつかずに邁進していこうと考えていました。
その夜から20年、谷川俊太郎さんに再びお会いすることはなかったけれど、あの日の数分感のやりとりは現在の私に繋がるポイントであり、逡巡するばかりの足元をチラと照らしてくれたひとつには変わりなく、現在歌詞を書くとき、文章を綴る時「何も書けないなぁ……もうダメだなぁ……」と白目になってしまう都度、自ら言葉を選びにいくというような烏滸がましさを捨て、足元から湧いてくるこれまでの歩みの中で蓄積された物事に集中したら背筋を正し大きく息を吸ってひと息でなんでもいい、書いてみる。それが突破口になることも多々。活きた助言に変わっています。
未だに臆することなく、会いたい人には会いたけりゃ会いにいくべきだと思い、初対面の恥は搔き捨て精神で暮らしております。
谷川俊太郎さん、この世のお勤めご苦労様でした。
わたしのすきなひと、ご冥福をお祈りします。