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寿司日乗141

2021年3月18日(木) 晴れ

正午起床。珈琲を淹れてそのまま夕刻まで作業。途中15時に昼飯。
月曜日に韓国の食材屋で購入した袋麺を食べるもイマイチ。作り方がいけなかったのか。
18時、韓国語の学習、20時からオンラインで授業。話すのは本当に、本当に難しい。というより発音がノムオリョゥオ、ハジマン ヨイシミハイケヨ!

21時過ぎ、晩飯。
今週はテレビのニュースさえ一際見ずにいる。ニュースがニュースたらしめることがもう、ない。そう感じるだけか。4日振りじっくりSNSを徘徊しているとオリンピッグの件で皆が憤慨し、怒り、鼻息を荒くしている(差別の意識、付け加えるてフェミニズムに関しても)日本は遅れている、日本は終わっている云々、人様の私感、思考を目で追いながら正直困惑している。ここ数年で(差別的な言動、行為、各々が感じていた違和感などについて)こぞって発言することが思考の変化の始まりなのだと思っているが、これも流行でおわらなければいいけれどと思う。そういう物事について考え、口にし、行動している人はもうずっと昔からいるだろうけれど、世の中の風潮として「今、目に映るもの」には突出した発言が多いからかやたら目にする。インターネットが普及していなかった時代、世界各国、人の価値観や文化、情報は本、雑誌、テレビ、旅をすることくらいでしか想像、感じることが出来なかった。自分の暮らす国に、市井の人々に、その人達の行動に、言動にその都度疑問があったとしても、口をつぐむことが当たり前という価値観も今よりあったかもしれない。波風立てないで生きるということを強いられるというより、そうすることが懸命だと選んで生きてきた人もいるのではないか。インターネットの普及により世界の出来事も人間の考え方も価値観も直ぐに目にすることができ、それによって新しい気付きを得ているのだということは私でも感じている。他国に生まれ、育っていても共通してある差別、偏見、その他の厄介事(その中身はどれも複雑だろうと思う)それをどう受け止め、対処し、自分の価値観や振る舞いを練り上げていくかの始まりに多くの人が気付き始めているのに「あなたの若い頃はそうだったかもしれないですが、今は違うんです」という常套句で今までを作ってきた人間と、これから作っていく人間を断絶させるような物言いで踵を返す人の言動を目にするとどうしても腹に据えかねる。
いかん、これについては私もここ数ヶ月考えながら暮らしている途中だから、答えはない。ただ、以前私が当たり前のようになんの疑問も持たずに口にしていた言葉(相手を揶揄する言い方、発言)を最近口にする時、自分自信に反吐がでることが増えた。「あぁ、これは今なら差別だと言われることなんだろう」という自覚がそうさせるのだろうとも思う。口は災いのもと。これまでは笑ってやり過ごしてもらえたことも、そうしてきたことも終わりを告げている。これからの時代にのるかそるか、それは今に始まったことではなく、世の中がどうであれこれまでと同様、自分が決めることに変わりはないと思う。
今日も1日お疲れ様でした。(PM23:14)

昼:カルグクス麺
夜:白飯、ハンバーグ、チョレギサラダ、缶ビール、マッコリ


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