一二三の旅
1977年の幼少の頃に印旛沼に連れて行ってもらった記憶があり、その沿線や街を散策した。
当時は第39代ジミー・カーター就任、1978年には新東京国際(成田)空港開港、ソニーのウォークマンが登場、1983年東京ディズニーランドオープンするような世の中の空気だった。
自動車産業や東芝、松下などメーカーが世界に躍進し、中国は’眠れる獅子’と教科書で教わり、勉強のできた友達は偏差値の高い大学に入ろうとし、街には’扇谷ジャスコ’や’太陽神戸銀行’が賑わっていたのを子供ながらにどことなく覚えている。高度経済成長の名残でオイルショックを乗り越え、首相は三角大福時代、何となく成長著しい日本を誇らしく思っていたバブル崩壊前夜。
この50年間で衣・食・住など物質的には豊かになり、今から思えば唯物論(マテリアリズム)物質主義だった時。
…2025年訪れると、以前あったはずの畑にはマンションが立ち並び、風景は一変したように見える。しかしゼネコン的な不動産開発の波は既に一段落し、社会が少し静かになったと感じる。
きっと世界は新しい貨幣価値を模索している、。紙幣で間を取り持つ銀行やJA的な存在が減る予感がする、そんな時代がくるということを考えながら歩いていた。
若干SNS疲れに用心しながら
・日本は’政治に不満’最多の82%を記録
・フジテレビ会長・社長が辞任、荒れる
そんな情報につい引き込まれそうになってしまう。
世界はパレスチナ人がガザ地区へ行列をなして帰宅し、US-R(Republic)はウクライナへの軍事援助を停止するよう求める。ヨーロッパ、中国、南米などBRICS諸国とルールを改定し、不法移民を返還させることから始めている。様々な価値観が大きく転換する時を我々は過ごしている。
日本は既に超少子高齢社会となり、車窓から見える屋根に取り付けられているソーラーパネルやガソリン車や或いは電線を走らせている鉄塔も無い景色にこれからなるかも知れない。
物質から’魂’や’精神’の時代へシフトする時に、きっとここにいる仲間たちも、もっと自分を愛し、大きな幸せや豊かさが訪れる時代が近いうちに来る予感がする。
大杉が伝えてくれる
自分軸は自己中心ではない。自分勝手でも無い。もっと自分を愛せば、人は愛されるのだ。
麻賀多神社
付近には杉や檜木の良い匂いが。この周辺には普段よく見かけ、何とも言えない威圧感を感じるベンツは一台も見かけないが、’スープラ’や’カムリ’など懐かしの車を見かけ微笑ましく思い、かわいい軽自動車達が走るのが見える。周辺が静かな分、ガソリン車のエンジン音が少し気になる。
竹林の教え
最近散歩の場が整うと竹林が現れ、竹林は’柔軟に行こう’と語りかけてくれている気がする。この時代には柔軟な姿勢が大切かと思う。木の良い匂いはフィトンチッドとなり松果体が喜ぶ。ふと振り返ると南中した太陽が見つめてくれている。時折見える民家では人々が慎ましやかに昼を過ごし穏やかな空気を感じた。
印旛沼
麻賀多神社を過ぎてなお歩くと、幼い頃に訪れた印旛沼が現れる。印旛(インバ)の言葉の響きから印旛沼と忌部(インベ)氏の関係があるだろう、と一人審神者。ネットを見れば、印旛沼と忌部氏や、物部氏との関係、さらには鹿島神宮や日高見国、阿波や安房のことまでたくさん歴史の話が出てくる時代になった。ススキや小舟が印象的で、幼少の頃に来た場所の記憶と重なり嬉しかった。
今後の世の中は、やがて賑やかさより静けさを求めるようになる気がする。開発はここまでで、もう止まる気がしてならない。時折通る高齢者の運転する大型トラックは何を運搬しているのだろうか。物質社会が終わり、産業廃棄物も減ってきていると感じる。飛行機の窓からこの辺りを見渡すと、木々が伐採されゴルフ場が目立つ。これから徐々にガソリン車の交通量も減るだろう。
自立社会からその先に自然社会が待っている。私は自然に感謝し、ひと足先に散歩を楽しんでいる。
幸せの尺度
帰宅途中に下車した駅がある。そこは生まれて初めて通った塾があり、やはり初めてアルバイトを経験した駅だった。その塾では小学校6年生の時にクラス分け試験があり、一番上のクラスに行った友達はのちに有名私大、有名企業に勤める銀行員の息子だったことをよく覚えている。今、どうしているのだろう。同じく東大に行った近所のラーメン屋の子は、やはり銀行に入ったとか。成績優秀で有名大学から金融機関に入るという一つのレールのようなものが確かにあったと感じ、幸せの尺度と2025年という時代を感じながらさらに電車は進行し、車窓から見える森の風景だけは幼少の頃に見たそれと変わらずそこにしっかりと存在していた。
初めて眼鏡を作った街
高校時代によく立ち寄っていた街で乗り換え、少しその街も歩く事にした。djiポケット2で動画を撮り、そこではやはり賑わっていたイメージのある大手金融機関のATMはガラガラだった。目に飛び込んでくる大きな保険会社や証券会社の看板はこれから消える予感がする。健康意識が高まり、ファストフード店は下火になるだろう。街の風景にはいつの間にか外国人さんが増え、昔なかったホームドアが設置されていた。土地開発の工事現場は減ったように感じ、それでも人々は笑顔で友人とお喋りし、遊び、食事をし、仕事をし、仲間と何かを楽しみながら生きている。そんな人々を見て、なんだか愛おしくなる。
駅に入る直前に昔のクラスが同じだった人とすれ違った気がした。
これまでも、あらゆる街を懐かしみながら歩いたが、直感的に今、大きな変容の前触れを感じるのは私だけではないはずだ。
帰りの快速電車では仲間とバンドを組み、ライブを行ったニッケコルトンプラザと共に夕陽が見送ってくれた。もうそのライブハウスも無い。
駅ごとに出会った人を思い出す
人生のターニングポイントで過ごした場所に訪れ、振り返ると大事なことがわかってくる。その時々に出会う仲間と協力し、自分自身の興味あるものへと邁進する。その時他人からの批判や反対はたとえ親であろうと気にせず、ただやりたいことに進み楽しむ。それで良いのだ。
-自分軸は自己中心ではない。自分勝手でも無い。もっと自分を愛せば、人は愛されるのだ-
やはり答えは自分の中にしかない。