ローマ
最後のホテルの朝ごはん、あのテキパキした帽子のおばちゃんはいなかった。しかし少し若めのおばちゃんがチャオ!と満面の笑みで送ってくれた。
給餌してくれる店員にコミュニケーションを取る宿泊客のイタリア人。
イタリアには星の数ほど美味しいレストランがある。
街の銀行は日本と同様相変わらず元気がない。世界情勢が’TG1’で流れトランプタワーのサイバートラックの話、モンテネグロの銃撃、韓国の弾劾も陽気なイタリア人のムードが深刻すぎず受け止められる。世界情勢は大丈夫だから見物していよう。
’雪ふれば冬ごもりせる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける’と紀貫之は800年前に謳った。
人間としての自然なものを妨げていたもの(メディアや政治の嘘)に気がつき始め、耐えていた冬から草花が咲き、新しい力が湧いてくる。イメージとしては天地がひっくり返る。窮すれば通ず。
日本人は働き方が社会の役に立っているか誇りを持てないでいた。働きが上層部の利益にしかなってこなかった。それを我慢してしばらく民衆は黙っていたが’おかしい’と自分の上を見始めた。自分は何者なのか’私、これができるよ’と生きる個の時代。才能や能力より社会に個性を輝かせたい、貢献したいという想い=大企業の終わり。窮すれば通ず。9の次は次元が一つ上がるという。2025年はそんな年になりそうだ。
ローマを旅立つ日、ふと立ち寄った店舗のトマト味のフェットゥチーネは特に美味しかった。ラビオリは大きい。店員はまた笑顔が優しかった。
ホテルの荷物を受け取り、テルミニ駅へ早歩きでエアポートバス乗り場まで歩く。最後雨が降り出した。予定より一本前のバスが発車する。ありがとうローマ。バスの車窓からは先日散歩したポポロ広場やテベレ川が見える。カブール広場が見えカルベーニャ通りの乗り場では別れを惜しむ人々が抱擁し合う。ローマはまだ見ぬ場所がたくさんある。