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地元愛
18年間、私を育ててくれた高知県四万十町。大学進学と同時に愛知県へ引っ越し5年が経ちました。
大学生活の中で、本当に沢山の経験をしてきて、「アパレル店員になる」と言ってみたり「動物看護師になる」と言ってみたり、自分自身の夢を模索していた時、ふらっと帰ってきた地元の寂しさに初めて気がついたことがきっかけで、「ここをなんとかしたい!この町にもう一度賑やかな声を!」と思ったのが、今の私に至るきっかけでした。
育ったのは、四万十町の中でも「興津」という、山を下った場所にある海の近い町でした。
その町の小学校へ通い、中学校へ通い、何か悩み事ができると海へ行き、波の音を聞きながら星を見る。町全体が私にとってお家のようで、とっても好きな町です。
ですが、そんな大好きな地元が、今では子供の声がせず、小学校も休校になり、中学校も閉校となりました。
母校が無くなった実感は、離れていると感じづらいものですが、実際に自分の目にその景色が入ると、それはなんとも私に悲しい気持ちを与えました。
そして、「悲しい」で終わらなせたくないと、その時私は思いました。
「この町で使える資源を有効的に活用して、ここにまた、色んな人の声音が集まるように」を基盤に置いて私なりに色々と考えた結果、1番最初に出た夢が「校舎をナイトショーがみれる形に改築して、校庭でキャンプができるようにしよう!そして利益が安定した時は夏に、ここで大きな音楽フェスを開催しよう!」といった内容でした。
当時の詳細は下記リンクとなってます。学生がキラキラした夢を語っていると思って目を通してもらえると、
、、(嬉)
そして、当時私が、夢に抱いていたことを、宣伝・広報するために(仮)で作ったのが下記画像資料です。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158969558/picture_pc_6cfbe88e3219260b4fa7205b8a9237ac.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158969553/picture_pc_294149c496c4f3eacefc1f504b179b2b.png?width=1200)
これらの資料に付け加えて、パワーポイントでも資料を暇さえあれば作って、できあがれば色んな人に送ってみて反応を確かめ、の一連の流れをずっと繰り返していました。
そこで、私に最も大きなきっかけを与えてくれたのが、大学ゼミの先生でした。
「こんなに面白いことを考えているなら、良い刺激になるだろうから、ゼミ活動で繋がりのある長野県辰野町へ行ってみない?」と声をかけていただき、「まちづくり・地域おこし」に貪欲だった私は二つ返事で、行きます!と即答だった訳です。
そしてこれが、私により一層火をつける訪問になったのですが、、、、。
こんなに地域づくり、町おこしって面白いのか!と、本気でそう思いました。
当時の感じたことを、そのまま、お世話になった長野県の地域おこし協力隊の方々へ感想として届けたくて、書いた文章が以下ファイルです。今読み返すと、熱がすごいですが、、、(笑)
この刺激を持って、私は、私が愛を持って接したい「高知県四万十町」で、地域の人と一緒になってまちづくりをしたいと、本気で思います。
しかし、5年もの間、愛知県での生活を続けていたので、現状は全く分からない。目に見えているものが全てではないこと、地域住民の方々の声はひとつと言っても良いほど聞けていないこと、これらを含めて、先日、四万十町の地域おこし協力隊の方と役場職員の方とお話をする機会をいただけました。
そしてそれは、もうかなり、私にとって夢が現実的になったというか、やっとスタートラインに立てた気がするというか、そんな感想を持ちました。そして、そんなきっかけを与えてくれたお二人には、本当にありがとうございますの気持ちでいっぱいで、またいつか私が後輩としてお世話になります!!!という気持ちです。
高知県には、海がある、山がある、川があって、自然が豊か。全国で見れば、自然豊かな街は沢山にあります。
しかし、そこで、高知県の名前があがる回数が少ないのはきっと現状であり、それはなんと勿体無いことかとも思いました。
こんなに魅力があるのに、伝わっていないもどかしさ、こんなに可能性が隠れているのに、、、と正直に思います。
しかしそれは、私があまりにも無知すぎるからかもしれません。それを知っていく意味でも、また私の夢に近づく意味でも、地域おこし協力隊への応募をしようと、強く固く思いました。
そして、画像資料へ綴っている言葉たちは、今でも私の本心であり、基盤にあります。
その筋をしっかりと通しながら、でも臨機応変に柔軟に、これからの私に、私が期待しています。
最も大事なのは、そこに住む人々、つまり地域住民の方々の声であったり意見であったり望んでいることをしっかりと捉えること。
自分の夢を叶えたい一心になるのではなく、まずは、自分の夢はなんであったかをきちんと確認しながら進むことだと私は思います。
例えば、ただ私は、「使われなくなった校舎を映画館にしてどかーん!と大きいことをやりたい!」と思いながら、町おこしの活動を重ねるのか、「地域の人たち同士がまずは交流を増やし、そこに子供たちが加わり、大きなつながりにしていくために本当に求められていることは何か」と思いながら活動を重ねるのか。
私は、本来の地域おこしは、後者であるべきだと思います。そして私が今後やっていきたい地域おこしは後者の形であるとも思います。夢中になればなるほど、私利私欲に走りがちな性格ではありますが、そこをきちんとブレーキをかける大切さも、この夢を追いかけ始めてからはっきりと分かったように思います。
そして今は、小学校を映画館に!とは思っていません。
もちろんそれに対してワクワクはするし、おもしろい!とも思いますが、そこにこだわらなくても良いという私の知見は、とても私自身が救われているように思います。
そして、例えば同じ小学校を活用する、について考えてみても、
① 映画館にして、夏に一回大きな利益を作る!そうすれば、イベントとして成立し、県内外から色々な人が来る!
なのか
② グラウンドの一部をを耕して、そこに地域の人に協力してもらいながら畑を作る。
畑ができたら、子供たちが農業体験をできるシステムを作り、地域の人と一緒に野菜を育てて、それを地域で消費する。
なのか、その違いをはっきりと理解している必要がわたしはあるとも思います。
同じ「小学校」で、同じ「声音が増える」でもその中身にある意味は全く違っていて、そこに住む人たちが「しあわせ」に思うことって、、、という本質的なところは、話出せば止まりませんが、、、(笑)
そして、私は今後、地域おこし携わっていきたい人間として、私1人で突っ走るのには限界があるとも思っています。加えて、思いは強いですが経験は無く、無知な部分が多すぎるのも事実です。
それを、先輩たち、地域の方々に教えてもらいながら、たくさん学び、たくさん感じ、成長していきたいと思っています。最終的には、まちづくりや地域おこしに特化した新たなコミュニティを作り、四万十町に既存である町おこし団体等と一緒になって、さらに四万十町を元気づけられるような存在に、組織としてなりたいと思っています。
そのコミュニティを、どんな形で作るのか、どんな人たちを集めたいのか、それは、まだまだこれから先に明確になってくることではありますが、、、、。
とにかく、みんなが一列になってゆっくりと成長していけるような、県内、町内の人に留まらず地域内外の人達もコミュニティに参加できるような、そんな組織を作ることが今の夢です。
あんなに夢物語だった私の夢が、少しづつ叶えられるルートに近づいているのがなんとも嬉しいなと、そう思います。そして、色々な人に助けられながらアドバイスをもらいながらであったからこそ、こう思えているとも感じます。本当に本当に、人とのご縁に恵まれているなと思うばかりです、、。
今後、どんなワクワクが待っているのか、どんなことで私が苦労してそこから何を学ぶのか、私はとっても楽しみです。
写真 : 夏の興津の海