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傷つく、生きる、見守る

いわゆる「思春期の危機」という言葉を久しぶりに聞いた。

ある若い患者さんで、詳細は言えないが、浪人して、人が嫌いで、なんで勉強しているのかわからなくなって、夜も眠れなくなって、、、

とりあえず、ずっとどうでもいい話をした。ずっとブルーハーツの歌とかRadの話とかばっかりした。その時にキラっと光る良い笑顔をしていた。不安や身体症状が強く出てきたので、心療内科の先生に引き継いでもらった。

今春、合格したと連絡があって、向こうの主治医から「辻先生に本当に感謝している」と連絡があった。嬉しかった。「僕はブルーハーツの歌の話しかしてませんよ」って言ったら「それがよかったんじゃないですか」と笑っておられた。

思春期の危機という概念はクレッチマーやエリクソンに由来するけど、最近はあまり言われなくなったとも聞く。内分泌などの生物学的な意味はまた別かもしれないが、暖かな我が家からTake Offして社会に出るにあたり、思春期という通過ゲート的なものは、たぶんに存在するのだろう。

彼の笑顔を思い出すと、介入できる事が医療や教育の全てではなく、治癒力と言うか、その人の持つ「生きる力」を信じて、見守るという事も大切なんだろうと思う。傷ついた人に介入できなくても、突き放さず、泰然と寄り添える人になりたいなと重ねて思う。

<参考>
https://kotobank.jp/word/思春期危機-1171383

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