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その「違和感」 「やらないことにする」リストに入れてしまわない?!


な~んかしっくりこない。

っていうか、もっとザワザワと嫌な気持ちに近い?!

これ意味あるのかな?
これ楽しいのかな?
これホントに自分を満たすご馳走なの?

まるで「なぜ?なぜ?期」の幼児ように

自分に問いたくなる。


モノの手放しが進んできた今、

しっくりこないしきたり、常識、と言われるしがらみに、

「はてな(・・?」

と、アンテナが立つようになってきた。


そんな時、エンディングノートの中にある

「やりたいことリスト」の裏バージョンとして、
「やらないことにする」リスト も作ってみることにした。




「やらないことにする」リストを、思い切って前に進められない理由を分解


やらないことリスト、これがなかなか前に進まないのよ。

なぜならそこには根強い

「やっぱり〇〇すべきなのでは?」がたくさん隠れているから。

まじめな人の前に立ちはだかる 〇〇すべきの「べき思考」。

そして他者の目線への配慮?

若い頃の私も、この「べき思考道」 ど真ん中を信じて疑わず歩いていたように思う。


でも、人生の折り返し地点を過ぎたと思われる今、やっぱり疑問に感じるところが、どうしてもある。

これからはこれらを自分軸で 「要る」「要らない」の判断をしたい!


・やりたくないのにやらされている?「相手」ありきの行動や慣習

・誰がきめたのかもわからないけれど、常識という縛りで続けていること


この二点に絞って「やらないことにする」為に、

やめる準備、そして実行にうつすマインドなども考えてみようと思う。



名言の力を借りてみよ!


アルベルト・アインシュタインは言いました。

常識とは、18歳までに積み重なった、偏見の累積でしかない

アインシュタイン「30の名言」より


言いにくいことは偉人に言ってもらう(^^;

自分の常識から外してしまいたい常識なら、この言葉を使って、思い切って手放してみようと思う。



30億枚の年賀状が消えた本当の理由とは?


年賀状を出す人は年々減少している。

具体的な数字としては、最高時2003年が44億枚だったのに対して、今年2024年は14億枚だった。

30億枚の減少だ。

現在、メール、LINE、DM、SMS、伝える術がいくらでもある。

会社の上司やら学校の先生への新年のご挨拶として当然あった年賀状が、むしろ送らない方が普通になった。


私も何年も今後年賀状どうするか?に悩んだ。

そして、四年前に手放した。

手放した理由を正直に書くと、自分の年賀状にかける思いに縛られて、新年早々もやもやするから。

私にとっての手放し理由は、LINEやメールのせいではなかった。


年賀状は元旦に届いてこそ!

各々に気の利いたメッセージが入っていてこそ!

毎年少しずつでも、素敵な年賀状に進化させてこそ!


こそこそ!(笑)

これ、自分に課しているようで、気づいた時には実は相手にも課していた。


表も裏も印刷だけ、届くのは1月3日以降の年賀状。

私のが元旦に届かなければ、相手は出さなくてよかったんじゃないかな。

なんでお正月からこんなモヤっとするんだろう。

そんなことをいちいち気にする自分にも正直嫌気がさす。

もちろん嬉しい年賀状もたくさんあるのに、そっちに気持ちが引っ張られる。

一層の事グズグズとくすぶる火種を、そもそも起こさないようにすれば良いのでは?

そう思ってからは早かった。


一度か二度、会ったかどうかも分からない親戚(主に夫側)の年賀状は、義実家に断りを入れて年賀状をやめた。

近しい友人や親戚でLINEやメールの繋がりがある人には、そちらで新年のご挨拶を送ることに。


あとは私自身の年賀状繋がりの古い友人や恩師へは、辞めると決めた年にクリスマスカードを書いた。

年賀状をやめる旨を、喪中も続いてしまったので、という言い訳もいれつつ、メールアドレスと共にメッセージを書いて送った。

そして、ここに対して、反応がなかった人は、終わらせると決めた。

またご縁が復活することもあるかもしれないが、いったん忘れることに。


お陰で「嫌な思考」「お正月のモヤモヤ」「年賀状を書く時間と労力とお金」という多大なネガティブ要素を手放せた。


副産物として、人生でこれからも大切にしていきたい人、また逢いたい人も際立ってきた。


年賀状を終わらせることで失ったものより、手に入れたものがはるかに大きかった。



年末年始のやるべきことを「やらないことにした」リストとは?


この勢いに乗った私は、更に調子に乗って「楽に特化させた年末年始」にしていくことを試みた。

家族はむしろ、それがいいんじゃない?!と言ってくれた。

ならば前進!


心を込めた年賀状準備を手放した私は、次は年末の大掃除を手放す。

年末の大掃除も良く考えたら、寒い、汚れも取れにくい、乾きも良くない、お天気も不安定

どう考えても効率が悪い。

ということで、10月から11月の半ばにかけて、終わらせてしまうことにした。

私は家事の中では掃除と片付けが好き。

こまめに拭いたり光らせたり。

ストレス解消に、掃除が一役かってくれることも多い。

寒かったり暑かったりは嫌だけど、

季節の良い時のそれはむしろ好き。

なので、年末にしかやらなかったようなことは、この秋真っ盛りの時にしてしまうことにした。

秋の心地よい季節を掃除に取られるなど勿体ないよ!と 私は思わないので、これが正解なのだろう。


次に、、、

私は料理教室などで、みんなでお料理をするのはダイスキだった。

長い間、教室にも通った。

カフェ仕事では、半分くらいの期間、キッチンにもいた。

なのに、
一人で作る料理は、なぜか気が進まない。

毎年お節料理を12/30.31、2日がかりで作っていた母は、お正月いつもグッタリしていた。

だいたい年末は機嫌も悪かった。

母のお節は美味しかったけど、楽しそうに見えなかったので、自分は作る気になれなかった。

子供が小さい頃は帰省もあるので、母のお節を一緒に食べていたし、手伝ってもいた。

母が亡くなり、いよいよ自分がメインで作るのか?となった時、

有難いことにふるさと納税で、お節の返礼品をみるようになった。

ここからは、お節を出してくれる自治体に、私の年末年始のご機嫌を手助けをしていただけることとなった。



「やらないことにした」リストを前進させた結果、待っていた世界は?

ということで、
私の年末年始の特別課題は、31の夜にお雑煮の為の出汁をとること、お箸袋に家族の名前を書くこと、のみとなった。

いつも通りの家事をして、なんなら仕事のシフトを入れることすら出来てしまう。

そうすると、
素敵なしめ縄を探すことに、ゆっくり時間が使えたり、お正月のお花のアレンジに、あれこれ妄想する余白が出来たり、、、

元旦は近所のスーパー銭湯へ行き、青空を眺めながら露天風呂に入り、好きな本を片っ端から読む、という極上の幸せが待っていた。

子供たちが成人した今、家族もこれを毎年楽しみにしている。


一年の始まりは、とっても大切だ。

出来れば気持ちよくスタートを切りたい!

みんなが自身の大切なことに特化させて、心地よい新年のスタートが切れるといいな、と思う。

その為には少し前からの準備が必要だ。

そろそろ大掃除リストを作り始めるとしようかな ✎*


この年末、あなたはご自身の中にあるどの違和感を手放す?!




日々家はみなさんの終活を応援します!
エンディングノートから始まる「自分情報の整理整頓」。
残された時間を大切にしたい方、お待ちしております♪

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