それでもあの家も、好きだった
最近、漸く時間的な余裕が出来てきて、旅に出るようになった。
特にお気に入りの旅先は、沖縄。
ただ海を眺め、沈む夕日を見ているだけで
地球の一部になったような気持ちになる。
目を瞑って海の音を聴いているだけで、
疲れが風船になって飛んでいくような感覚になる。
海は泳ぐモノだと思っていたので、物心ついてから長らく行くことがなかった。
海のないところで育ち、海の怖さも知らずに大人になった。
今、人生の折り返し地点に来て、海の良さだけを感じている。
それも沖縄で雨に降られたことがないことが、大きな理由の一つだろう。
今どこへ行きたい?と訊かれたら私は間違いなく、よく晴れた沖縄、と答えるだろう。
これだけ沖縄の海を語っておいてなんだが、私は本当はどこに行くより、家が好きなんだと思う。
家は私にとって文字通り巣穴だ。
それを認めることが少し怖くもある。
家が好きだからと言ってずっと家にいては、それが好きなのか?が、分からなくなってしまう。
好きとは、そういうものだ。
なので、極力ここはあまり意識せずに生きていきたい。
実家を出た20代後半から、6軒の家に住んだが、今思い出してもどの家も好きだ。
その中に、築45年の文字通りの社宅があった。
引越ししたのが丁度梅雨だったせいもあるが、あっち向いてこっちに向き直った時には、下駄箱の靴の半分が緑になっていた。
え?!こんなことある?? と狐につままれたみたいだった。
玄関扉を開けて、横の階段をちょっと降りた所に郵便受けがあって、そこには昨日はいなかった虫やらの死骸が転がっていて、慣れるまではとんでもない声が出そうになった。
風のある日に窓を開けると、隣のキャベツ畑から、関東ローム層の黒土(赤土)が容赦なくダイニングに入ってきて、雑巾掛けをすると、笑えるくらい真っ黒になった😂
フローリングとはとても呼べない板張りのダイニングを、それでもこよなく愛し、毎日雑巾の黒さを楽しんだ。
今思えば色んな面倒を抱えた家だったが、夏になると氷川丸が鳴らす正午の汽笛に海を感じ、その向こうに続く広い世界に想いを馳せていた。
古い集合住宅のその社宅、24戸あったお家は全て同じ間取りだった。
住んでいたのはほぼ全員、少し年上の奥さま方だった。
昔の社宅。
悪目立ちだけはしないようにと、必死で標準語のイントネーションに慣れた。
とても有難いことに、その素敵なお姉さま方は、越してきたばかりの私をよくお家に招いてくれた。
同じ間取りだからこそ、ハッキリと浮き彫りになる住まい方。
その中に、この築45年の良さを活かした、和の趣を味方につけた落ち着く空間を作っておられるお宅があった。
お茶を淹れるのがとても上手な方で、軽めのおやつも手作りだった。
たとえ築45年でも、カビるんるんが大量発生する玄関でも、どのように住まうかは自分で決められるのだということを、20代の私はその方に教わった。
新築マンションから始まった新婚生活からわずか半年で、この社宅に移ることになって、沈まなかったと言えば嘘になる。
でも、この築45年の古い社宅でも私らしい部屋にするんだ!と、その時決めた。
いつか素敵な家に住めた暁には、、、ではなく、
この築45年の黒砂に塗れるこの部屋でも、
ここを自分の居場所にする、と。
ここでの経験が、どこに行っても私は自分で大好きな家を作ることが出来る、という安心になった。
何度引越しをしなくてはいけなくても、大好きな家さえあれば、楽しく生きていける。
その気持ちが、転勤族の妻だった自分を支えてくれた。