祈り
【 She was cute. 】
私にはアメリカ人の伯父がいる。
とは言っても二歳の頃、一度会ったきりだ。
半世紀の時を経て、今年その伯父とメールでやり取りをするようになった。
彼の妻である、私の伯母が亡くなったのだ。
この伯母、
同じバスに乗り合わせただけの男性に一目惚れをして、アメリカまで追いかけて行くのだから、かなり思い切った人生を選ぶ人。
学習欲が人一倍強く、ダンスが好きで、老若男女問わず、友人や教え子にもたいそう慕われていたようだ。
日本でもアメリカでも生涯現役で、先生と呼ばれる職に就いていた。
結局最期までアメリカで暮らす事になった彼女は、兄弟姉妹のお葬式にも帰ってこなかったし、(こちらの家族がお葬式が終わってから知らせていた)私も数えるほどしか会えなかった。
小中学生だった頃、伯母からはよく私宛てにエアメールが届いた。いつも励ましや、褒めてくれる言葉が添えてあった。優しく可愛らしい伯母だった。
その手紙は当時の私にとっては天国からの手紙に近かった。
それくらいカール・ルイスの国、アメリカ🇺🇸は遠かった。
そして、長い間そのアメリカ人男性のどこが良くて、伯母が遥か地球の裏まで追いかけて行ったのか、私は分かっていなかった。
正直、保守的な自分の人生には置き換えて考えることが出来ない、理解の範疇を超えた選択だとも思っていた。
しかし、このアメリカ人の伯父と今回メールで話せば話すほど、伯母が彼を愛した理由が手に取るように分かった。
伯母が生涯、故郷を離れたその土地で暮らすことを決めた気持ちも、感じとることが出来た。
『She was cute.』
これは、そのアメリカ人の伯父から、伯母の最期が知らされた時に、私の父宛てに届いたメールの一節だ。
八十歳を超えた男性が、50年連れ添った妻は最後までキュートだった、と。
そして、私とのメールのやり取りでは、
「あなたの伯母さんは最期まで立派だったよ」「あなたの家族写真の年賀状を気に入って飾っていたよ」と 何度も伝えてくれた。
彼女が日本の家族へと残してくれた遺産も、彼は難しい手続きをクリアして、無事届けてくれた。
そして、何より私を温めてくれたのは、
「彼女は癌の苦しみはあまりなく、最後の時間は、ほぼ家族への祈りの時間に充てていたよ」
というメッセージだった。
私が彼女に最後に会ったのはいつだっただろう。
彼女のお友達から聞く伯母の姿に、自分と重なる好みであったり、興味深い話がたくさん出てきた。
もっと話をしたかった。
今、空の向こうにいる伯母に伝えたい。
「あなたの最期は、きっと将来、私の最期を支えてくれると思う」
「理想の姿を貫いてくれてありがとう」
そして、
そのことを伝えてくれた一度しか会ったことのない伯父に、心から感謝している。