繋がり続けるという選択
八ヶ月ぶりに東京駅に降りたった。
秋色に染まった木々から風が吹く度光を浴びて舞い散る葉を、交差点でしばらく眺めていた。
そう、待ち合わせの時間が迫っていた。
丸の内口前にそびえる丸ビルに入ると、中のレストランは開店前から長蛇の列。
新型ウイルスへの脅威が落ち着いたんだなとあらためて実感しながら、私はエレベーターに乗り、35階を押した。
またまたこちらの階もどのお店も長蛇の列。
約束のお店ってどれだっけ?とキョロキョロする私に、その列の真ん中あたりから、彼女は満面の笑みで大きく手を振って迎えてくれた。
私は開口一番
「凄い人気店だね!予約してくれてなかったら入れなかったね。」
と言いながら、ウキウキしながら店内へ入った。
平成になってすぐの頃、私たちは音楽大学へ行く為の受験塾で出会った。
同じ古都の町を故郷に持ち、同じ恩師に師事した仲間としての結束も硬い。
夢や情熱をたくさん語り、そしてお互いを尊重しあえた十代だったと、今も当時を眩しく愛おしく思い出す。
以来、彼女は私の人生において特別な存在であり続けている。
私の目にはいとも簡単に最高峰の藝大のそれも作曲科に入学していったWちゃんは、長年私にとって「もの凄い人!」という存在でもある。
そんな彼女は、いつの時代もなぜか私の人生を面白がって見てくれている。
今思えば互いにその特別な存在であり続けるためには、意識的な選択が必要だったようにこのごろ思うことがある。
単なる偶然の出会いではなく、互いの人生に関心を持ち、距離を超えて繋がり続けることを選び取ってきたように思うのだ。
今でも彼女は音楽の世界でスポットを浴びる人。
加えて、学生時代から変わらず自然な余白を纏う女性だ。
現在、大学で後進の指導に携わりながら、全国での演奏活動を続け、常に情熱を持って自分の道を歩んでいる。
プライベートでは、彼女の二人の娘ちゃん達のエピソードに、彼女のその頃が被って見えることもある。
そして、作曲家でもある彼女の作り出す音楽は、これまで何度も私の「心のひだ」を癒してくれてきた。
彼女が素敵にアレンジしたwedding曲で、結婚を祝ってもらったこともあった。
今回、私の上京のわずかな時間指定に、彼女は自身の忙しいスケジュールを調整し、無理を重ねて会う時間を作ってくれた。
どうやってその時間を捻出してくれたのかと聞いてみたら、サスペンス小説のシナリオかと思う位の時間調整(やりくり)だったことが分かり、笑いが込み上げるほどだった。
この行動は、単なる meet-up以上の意味を持っていた。
彼女の言葉が胸に響いた。
「会った時の時間が楽しいのを知っているから、会える時には何としてでも会おうと思ってる」
これは、偶然や流れに任せるのではなく、意図的に関係性を育むという選択なのだと思う。
関係性への深い敬意、そして繋がり続けようとする哲学。
会えない理由は、いつもいくらでも作ることができる。
仕事、距離、忙しさ…。
繋がり続けるという選択は、容易ではない。
しかし、ここには人生を豊かにするスゴい力があると感じる。
彼女の行動から学んだこと。
それは、 意図的な関係性を築く智慧。
今回の再会は、「会いたい」という気持ちの強さと、繋がり続けることを選択することの意味を、改めて教えてくれた。
彼女と会った日、彼女がくれたLINEの締めくくりにはこんなメッセージがあった。
「レナちゃんと話すといつも気付きがたくさん。それは高校生のときからずっとそう」
温かく込み上げるものがあった。