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Photo by
usausan
☀️⚡️
私の母の私が生まれるまでを、息継ぎせず一気に話すとこんな感じ。
思春期は田舎の政治家の一人娘として育つ。
10代後半になると、7歳年上だった私の父の一目惚れから交際がスタート。
その当時彼氏だった父に、憧れのグランドピアノを買って貰い、夢中で練習していたら3年後音大に合格。
入学を機に父と結婚をし、大学を卒業した春、私を産んだ。
これだけを聴くと、なんだかドタバタではあるものの、素敵な話に聞こえてくる。
しかし、母親になった母は、この少し狂おしくみえる経歴のはるか向こう側をいく人だった。
私は45年間彼女の娘をして、色んなことを学ばせてもらった。
亡くなってもう何年もなるが、みんなの記憶から彼女が消えることはない。
今も話題の中心だ。
そういう意味では、彼女は凄い。
母は自分のことを永遠の「文学少女」だと思っていた。
ロシア文学にかぶれていた頃に私が生まれたので、私の名前はロシアの地名なのだ。
確かに私が思い出す彼女は、いつも何かを読んでいた。
小説、新聞、雑誌、参考書。
人とうまく繋がれない彼女の居場所は、文字の中だったのかもしれない。
もし何十年か後の世界で、私と彼女が親娘でも、主なやり取りがテキストのみならこんなに「酷い思い出」が溢れないかもしれない。(希望的観測)
だけど、それもこれももう終わった話。
今日のブログは、自分自身の「育て直し」の意味も含めて 書いた。
「思う」と「伝える」の間で と題して
エンディングノートの「履歴とゆかり」に想いを馳せるお話。
振り返りが苦手な私が、勇気を出して振り返りを始めている。
親子関係で切ない思いを抱えておられる方にとって、今回のブログが何か風穴のようなものになれば嬉しい。