おさむ・ポッターとのろい婆 ~舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」を観て~
※そこはかとないネタバレがあります※
9月某日。
1年ぶりの、生おさむ。
1年ぶりの、赤坂ACTシアター。
わたくしまったくの“非ハリポタ民”で、いくら推しが主演といえど、この舞台を楽しめるかどうかかなり不安でした。
シリーズ第1作『賢者の石』は世界的ベストセラーになり出版界で相当に話題だったので、日本語版が出た瞬間に読んだ。1999年。
それ以来、読み返すことも続編を手に取ることもとくになく、映画も観ていなかった。
(けしてファンタジー嫌いではありません。『ゲド戦記』『指輪物語』は大好き。原作が。原作が大好き。大事なことなので2回言ったった)
流行に乗り遅れることにかけては他の追随を許さない“のろいババア”ですが、今回「呪いの子」を観に行くうえで、あらためて『賢者の石』を読み、さすがに映画も見てみた。「賢者の石」から「炎のゴブレット」までとりあえず。
結論として、予習しておいて大正解でした。
っていうか予習してなかったら3時間40分ずっと、たぶん、ぜんぜん、面白くなかった。
とにかく冒頭から「皆さんご存知のとおり」という体で話が展開し、世界観の説明はもちろん、キャラクター紹介や時系列の解説は全くない。
既知の人物、既知の事件、既知の場面を前提としてはじめからトップギアで芝居が進み、知らない固有名詞でつまづいている暇さえない。
これは当然のことで、批判する気はいっさいありません。
むしろ、あのテンポ感で舞台を動かしながら物語の大枠と登場人物の関係性を理解させる作劇テクニックには感服させられました。よけいな説明を徹底的にカットする潔さ、「ついて来てますよね?」という作品ファンへの信頼感。
しかし残念ながらこちとらズブの素人なので、1幕はおさむハリーの美を愛でつつジタバタしてる姿をひたすらあたたかく見守る時間でした。
まずおさむハリーの登場が超ど級にカッコいい。
三つ揃いのスーツに丸メガネ。
たくさん積まれた旅行鞄の山が左右に割れた瞬間、こちらに向かってまっすぐに歩み出てくる姿。
ああ、この人こそ“センター”をはる人だ、とひと目でわかる説得力。
あのシーンだけでチケット代の元とれた。
ただ、そのあとはわりにおさむ気配消しがち。
ひんぱんに登場するしセリフもたくさんあるんだが(これがまた超高速セリフ回し)、舞台上に人が多いとわりにモブっちゃうおさむ。
なぜならば、
顔が小っさすぎてパースが狂うから。
他のキャストがしゃべってるのを見ててふと気づくと、おさむの顔が行方不明。完全に視界からロスト。
わたくし持ち前の強運を発揮しまして1階最前ブロックの真ん真ん中!真ん真ん中!ハハハハハ!(←蒲殿の口調で)という良席だったのですが、
オペラグラスで探しました。
顔を。何度も。
これは実際に見ればわかりますが、ドラコ役の松田慎也さんとならぶと顔面積が半分以下。
舞台の奥のほうに立ってるともはや消失点です。
ストーリーの展開上もハリーを殊更にクローズアップする場面がなく、息子とうまく行かなくてモダモダおろおろジタバタ駆け回るさまがずっとつづきます。
あと、これは全編通してですが、
嫁にわりにドヤされます。
そんなこんなで、1幕を見たかぎりでは、正直「チケ高いし、今日一度だけでいいかも」と思ってました。
(さぁ、みなさま)
(ご唱和ください)
あのときの自分をタコ殴りに殴ったあとでおさむにスライディング土下座し、その勢いで五体投地したい。
そして「阿呆なマグルめ、このヴァカババア!!」って吐き捨てるように罵られたい。
2幕は、まったくギアが変わった。
スピードの1幕に対して、深度の2幕。
なんだかんだ親子問題の話なんでしょ、と思って見始めたけど、想像以上にストーリーラインが複層的かつ輻輳的でした。
〈親子の愛と葛藤〉はもちろん、〈夫婦の絆〉〈師弟の楔〉〈友情の結び目〉〈世代の垣根〉、
そしてそれらすべてが
「バトンを渡し、バトンを受け継ぐこと」
につながるような物語。
大きくて深い環をなす物語。
その環の中で、向井理が、ハリー・ポッターとして生きていました。
いかにもインテリ然として、そつがなく、若々しい見た目が、父親である自分をもてあまし戸惑うハリーに絶妙なリアリティを与えていたと思う。
自ら望んで求めたわけではない境遇、立場、地位。
選ばれし者としての、自分。
心と身体が引き裂かれそうなほど苛立ち、苦悩し、もがく。
まるでこの宇宙でたったひとり、行き場もわからずさすらう小舟のように。
(どこか、ありし日の義輝様と重なるような)
“孤独”や“影”を秘めた役をさせたらもはやかなうものはないとさえ思える、向井理の芝居。
あのクライマックスシーンでのハリーの表情は、たぶん一生忘れられない。
息を呑み、泣いた。
瞬きもせず、泣きながら、ハリーの顔だけをずっと見ていた。
唯一無二の役者だな、とあらためて思いました。
しびれました。
というわけで。
ハリポタ超初級者でも十分に堪能できる舞台でした。
照明、衣装、美術、音響、すべてが緻密に計算し尽くされたさすがのクオリティ。
光、闇、水(!)、炎、浮遊する何か…がつぎつぎ繰り出される仕掛けのおもしろさ。
何より、暗転をほとんど使わずに人と装置をシームレスに動かしては消え、また動かしてゆく場面転換のアイデアには舌を巻きました。あれは粋だわー。
舞台上で見せるすべての“デザイン”が美しかったです。
役者の皆様も、お見事でした。
スネイプ先生が超スネイプ先生(伝われ)。
で、
そんなに良かったなら二度三度と観に行くんだな…?と言われたら、ちょっと口ごもるかもしれない。
やはりそもそも作品の熱心なファンではないので、考察を深めたいわけでもなく、違うキャストで見比べようという情熱もそこまで湧かなかった。
ショーとしての愉しみはしっかり味わえたけど、すべてが用意され演出されたある種の“テーマパークっぽさ”がどうにも自分には合わないな、と。
(悪口ではなく、あくまで好みの問題です)
個人的に、演劇はもう少し目の粗い、生っぽいのが好きなんだよなー。
おさむはとくに、たたずまいで伝えるような、瞳の光とささやきで何かを物語るような、しずかでかたい舞台をもっと見たい。
ハリポタの無期限ロングラン、得難い経験値を積むのはもちろん重々承知のうえで、それでもやはり、まったくちがうステージでの彼の芝居を待ち焦がれてしまうのです。
向井理はいま、おそろしいほどに進化の階段をのぼりつづけてる俳優だと思うから。
そうそう、
詳細は省くが1幕ラストが「漆黒の悪」みたいなモードで終わるんすよ。
薄衣を纏いし霧や霞的なものが不気味に宙を舞ったり。
闇に覆われたり。
思わず、
(「では、のちほど」…!?)
と意識混濁してしまった。
いかにも印を結んだパイフーシェンがあらわれそうな空気に満ち充ちてたんだもん。
ほら、ACTシアターだし。
心の中で思っきし『約束の未来』流れた。
カテコは4回。最後はスタオベ。
おさむはいつもどおりトストストスと出てきて、きれいに指そろえた手を腰にあてて深々とお辞儀され、最後は右手で左胸をたたき、客席じゅうを見渡してからツトツトツトってはけていきました。
なんなのあの「あんよはじょうず」感。
幼児か。
世界一かわいい!
大好き!
以上!