さよなら、同僚
今朝一番で東京の知り合いから訃報が届く。
ビーイング時代の同僚が、死んだ。
ヤツは、俺より若いけれど、もう30年くらいは顔を合わせていなかった。
それでも覚えているのは、俺は彼が初めてビーイングの門を叩いた日を知っているからだ。
その時、お互い20代前半くらいでしょ。
菓子折り一つ下げて京都からやってきた。
ほどなくして、当時の小ちゃなカジカワビルにやってきたんだよな。
オレはエビハラさんとこ、ヤツはナカジマさんとこに最初はいたんだよな。
それでまぁ、なんだかんだすったもんだあって現在に至る。というわけで、ヤツの死には複雑な心境がつきまとう。
自業自得じゃねぇか、そんな気もする。
だからといってそうなっていった彼を救えなかったのは、誰のせいだ?
他人事とは思えない最期の情報を伺い知りながら、どうして今日も俺は生かされているのか? と思う。
「斜陽」そういう季節が近づいている。の、かもね。