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音楽が売れなくなったからといって音楽が失くなるわけではない。

まず始めに、音楽ありき
 そこにはアーティストもしくは演者が必要である。
第一義に、彼らが存在しなければ音楽は生まれ得ないのだ。
音楽にとって、誰が一番大事なのかは明白であろう。
 そこには、リスペクトと称賛が必要だ。
 真のアーティストありき、者ありきにして初めて音楽はその輝きを発揮し始める、というわけだ。
 かくして、音楽は売れなくなった。生活に窮乏する音楽家が増えた。
 売れないからといって契約を切る事務所やレコード会社が増えた。
 資本第一主義の観点から言えばそれは正論であろう。
 では、だがしかし生活に困窮したからといって音楽家は音楽を奏でるのを辞めてしまうのだろうか。辞めてしまえるのだろうか?
 音楽が売れなくなったからといって音楽が失くなるわけではない。
 音楽は、資本家のものではない。芸術家に依存する権利だ。
 もちろん、売れて本人の懐がうるおうことには何の罪もない。
 罪深きは、売れた者にだけ群がってくる俗人、凡人たちの類いである。
 彼らに興味があるのは金だけであって音楽ではなく、金だけであってアーティストではない。
 そうして、アーティストを崇めるファンという存在から金をむしりとり、我が身の春を謳歌するという算段だ。
 資本主義の世界ではよくある話である。
 ところで、音楽が売れない。これからももっともっと売れなくなるだろう。
 だからといって音楽はなくならない。アーティストもいなくはならない。
 たとえ、AIだらけの音楽が街中に流れていたとしても、それでも音楽が鳴り止む日は来ないだろう。
 アーティストと演者は、絶滅危惧種に指定されたとしても大事にしなければならない。
 才能をドブに捨てるような才能のない環境に巻き込まれないことを祈るばかり。
 アーティスト第一主義、それが音楽の本質だ、と私は思う。
 

 

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