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わがまま?
わがままは切り捨てられる?
わがままは我慢させられる?
たまに、障害者=わがままという声を聞きます。そんな時、障害者は社会参加の場を与えてもらえなかった。だから、声を出して言うことで理解を広め、偏見を取り除いているんだと答える。
障害の無い人は、自由に電車に乗り、映画を見たり、買い物に行ったり出来ますが、障害のある人は一回一回、お願いできますかと要請しないと列車を利用出来ません。車椅子の人の視点に立った時、わがままだと切って捨てられるのか考えてほしい。
障害者問題の本質は、一般の人との格差をどう埋めていくかで、一般の人以上のことを望んでいる訳ではない。
問題は、障害者が、使えない構造にしている事です。階段だって、一般の人の身体能力に合わせて段差を造っておいて、障害者には障壁となる段差を解消する仕組みを十分に提供しないのが今の社会です。
社会モデルが進んでいないのが現状
最近では、駅の無人化も一つであります。無人にされた駅が不便且つ危険になることによて、障害者の外出の抑制につながってしまうことも懸念される。駅の無人化は障害者の外出の抑制につながるという事、障害者の移動の権利を奪うものだという事。障害者の自立と社会参加の機会を奪うものだという点においても、とても問題!
駅員が手助けする事で利用出来る状況というのは物理的障壁を取り除かないまま駅員という人的資源で解決してきたに過ぎません。
駅が無人化されると、一般の人もサービス低下などの不利益を被りますが、障害者はそれ以上に、駅を使えなくなってしまいます。
少子高齢化社会が進む事も踏まえ、地域を巻き込みながら多くの人が問題意識を持つ事が必要である。