着る意味を、改めて考える
外出になんだかの規制が
外からも内からもかかってしまってから
1年以上。
生活の、人生の、
日々関わる事の、
その意味を、
考える事が増えた。
考えるとは、
時間だけあればできるのでは
もちろん無く、
情報や多様な視点や意見、
それとやっぱり、
我を大勢の中に潜ませてみて
何を感じるのか、
そう、
外に出ないといけない何か、が
意味を考えると共にあると思う。
外へ出る、
には一番原始的な意味での
服が必要であり、
自我を殺しているのであれば、
それはなんでも良く
選んで着る必要はないのであるが、
自我を殺して存在しても
生の意味はないのであるから、
こんな今こそ、
外へ出るのであれば、
自分は何を選んで着るのか、
外へ出る目的は何なのか、
(ファッション業界としては残念ながら)
もはや『流行』というのは、
着る側に全てが任されたのだから、
時代を着る
自我を着るパワーは、
大勢の
それぞれを選んで着る人に
バトンが渡ったのだと
思う。
こんな今だから、
自分は今日、
何を着るのか。
生き方と同じ目線上の
あなたの考える、
が必要である。
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