大好きな、自由について
今年になって、
さらに自分が
自由になった気がしている。
さらに、
というのは、
東京での
普通の仕事、
「モード学園の先生」という自分から、
(24時前に帰ったことないから、
普通とは言えないかもしれないけれど)
仕事だからやってる、
という瞬間が、
全くない、生き方へ変更したが、
あえて言うが、
モード学園での
(好きで)長時間働いていた時も、
「仕事だから」
という気持ちで何かをした事は
幸せな事に、
ほとんど無い。
一度もない、と
言いそうになるが、
新人の頃は、
わけもわからずに、
必死にやっていたことも多々あり、
その中には、
不安に押しつぶされそうな中で、
「仕事だから」
やっていた事はある。
いつまでこんな、
体力的、精神的に
辛い仕事をするのだろう、
と帰宅途中に考えたこともある。
けれどもそれは、
24時間の中でほんの僅かで、
そう思った時から
「仕事だから」と思わない為の
何だかの思考が働いて、いつも
やりたいからやっている
に心が落ち着いていた。
けれど今、
さらに
『自由』であると感じる。
195になって初めの頃は、
お客様の要望に応えようとして、
外側の、
つまり、
その時点でのお客様の声に
(それも)スマートに応える事に
集中していたが、
最近は、
特にコロナという文字を
毎日耳にするようになった
昨年からは、
なんというのか、
「今起きている問題の
核部分に直に向かう」
ことだけに集中して、
会話なり、
メールやりとりなりをしていると、
自然な気持ちのままの
解決策に向かう。
いや、
解決できないことも
たくさんあるけれど、
問題からは目を背けない範囲で、
進んでいこうと
できるようになった。
「解決させる」
ことが大事なのではなくて、
簡単には解決できない
多くの問題があっても、
解決しようとすることを
やめてはいけないのだ、
と思っている、
と、
結果、
いつでも自由にいられる、
ということがわかったこの頃。
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