エンニオ・モリコーネのこと
7月6日に91歳で亡くなられた作曲家エンニオ・モリコーネ。音楽とはすごいもので、今回の訃報で忘れていた感情のいろいろを思い出させてもらった。
幼稚園にも行ってない頃(今回調べて分かったのだが、『荒野の用心棒』は、私の生まれた年の作品)(そして私は、自宅で洋裁をしたい母が質問の多い私をなんとか頼んで3年保育を2回通っている(!)ので、ほとんど2〜3歳でくらいのことだと思う)、家には畳とレコードしかなく、よく父と寝ころんでレコードばかりを聴いていた。母に叱られる以外は、それしかやることが無かったのだ。多くない数のレコードのほとんどが、民謡と浪曲。それでも毎日同じ曲を、寝ころんで聴いていた。と、そこにある日「マカロニウエスタン」なるものがやってきた。『荒野の用心棒』なのか『夕陽のガンマン』なのか『夕陽の用心棒』だったのかわからないけれど、紙のケースに入っているシングル盤。両面に一曲ずつ、2曲入っているのだが、どちらも口笛が寂しげな同じような曲。同じ哀愁のテーマでも、あきらかに浪曲とは違っていて、大好きになった。実はそのレコードは、父が間違って買ったようで(何と間違えたのかはわからない)、それを出すたびに母からは、「間違ったなら返して来なさい」と言われるのだが、すでに私がお気に入りになっていたので、ずっと家にあった。(ちなみに母は、一緒に出かけて買ったものを家に帰って散々眺めて翌日早くに返しに行く、をよく繰り返していた)
その時は、それを作ったのがエンニオ・モリコーネだとは知りもせず。次にその記憶が甦ったのは、TV番組『ルーブル美術館』。そのテーマ曲が好きでサントラアルバムを買って、自分の部屋のステレオで聴きながら、この作曲家は、“映画音楽マカロニウエスタン”で日本でも有名だと知り、子供の頃のそこだけ色の違う記憶が、マカロニウエスタンだったという事を知ってときめく。
いよいよ念願の巴里へ行くんだと決めていた1989年の12月。銀座シネスイッチで、映画『ニューシネマパラダイス』を観る。その時は多分、その音楽は、エンニオ・モリコーネだと知っていたのかも知れないが、大いに気に入って。ロングラン上映になったので、その後何度も映画館に通った。次の春に仕事を辞めて、巴里に渡っているから、直前まで観に行っていたと思う。上映中に感じる音楽と郷愁の中にいる自分は、映画を観に行くというより、浸りにいくという感じ。今回調べて分かったのは、単一映画館の興行成績として今だ破られていないとの事。
さて今回。もう一度DVDで『ニューシネマパラダイス』を観ようと借りてきた。これはもう、相当泣けるんだと用意して、観た。ところが、なんか違う。あれ?当時、私が大好きだったのは、ラストのキスシーンのオンパレードのトコ。確か。ラストは確かにそうなんだけど、なんか思いが違う。。期待しすぎたのか、私の感受性が衰えたのか?文明の利器を使わぬ私は、納得出来ずに数回観る。それにしても、こんなに長い映画だったかなーと、ようやく調べると、これは「完全版」173分のだった。劇場版は123分だそうで、現在のエレナとの再会も含めて50分も長い。だよねー。初恋の記憶は記憶だけだったし、それよりも映画愛が描かれていた記憶は、あっていたのだ。
そうか、違うものだと知って安心してもう一度観て。こんなにも編集(この場合は終わらせ方)によって、観た感じが違うのだという事。日常の終わらせ方にもいえるんだな、と。トトとエレナが会えなかったのは、アルフレードの仕業だなんて。それほど「自分のすることを愛せ。子供の頃、映写室を愛したように」を実行させたかったんだって事。監督として成功したトトと、エレナと結婚したトトは、どちらが幸せだったのだろうか、とまた何度も観たくなる。
いい映画には、理由がある。音楽にも。