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巴里日記 クリスティーヌ #6

TOKYOがバブルだった1990年代のはじめ、195がパリで教えてもらったファッションの基礎。中でもとびきりチャーミングな思い出、7歳の女の子との記憶。きっとパリではあくまでも普通な、女の子の知恵としてのファッション。

その最終回。

ひとりでなんでも出来ちゃう、クリスティーヌ。ベビーシッターという名の見ているだけでいい、だから始めたアルバイト。ベビーでないのは明らかだが、どころか、れっきとしたマドモアゼル、になろうと奮闘するクリスティーヌ。

車を止めちゃう貫禄も、書くアルファベすらも自分仕様にするオリジナリティも自然と戯れるまっとうな姿も、自然体とはこういうことだ、と。

当時の日本では、「普通でないのがオシャレ」だったし、「目立ちたくない風」の顔して「破壊服」を着ていた、よ。

そんな東京から留学したパリで見つけた「考えながら自己表現していって、生活するおしゃれ」

その日のクリスティーヌの最後の希望は、大きな公園で自転車に乗ること。ママの希望は、「どんなにせがまれてもお菓子はあたえないで」。

メトロふたつ先の大きな自然公園、無事自転車に乗ろうと到着。と、入り口すぐ、目に飛び込んだのは、遊園地ばり風貌のジュースとソフトクリームのスタンド。

「買って!」「欲しい!」「食べる!」ママから1番のNG事項がお菓子をあたえないこと。そう伝えたら、それまでずっと感心させた同じクリスティーヌなのか?と思うほど、一瞬で泣きわめくベビーに大変身。

わんわん泣いて、だだをこね、おまけに泣きながら「ママン!」と私をままと間違え、た時にはさすがにふたりで大笑い。こころが通じた瞬間。

あまりの可愛さにママに内緒ね、と買ってあげることに。ふたりで食べたのだ。まるでここで食べなければ自然でなはない、くらいの気分になっていた私。

思いっきり自転車で遊んで、もっともっと仲良くなって、夕方になってアパルトマンに戻った。

ママが帰って来て、今日の報告をして、お駄賃をもらって。公園へ行ったメトロ代も。アイスクリーム代はもちろんもらえない、けど、甘いもの食べさせてしまった罪に対しては、どうする?迷ったら正直に、は私のモットー。

「アイスクリームをどうしても食べたい」と言われて与えてしまったと謝った。

ママはやっぱり、という表情で「次からは絶対にノン」と代金を足してくれた。本当にごめんなさい、と謝った。

今から思うとクリスティーヌは、アイスクリームを食べたくて公園へ行きたかったのかもしれないし、ママはそんな一日を予想していたのかもしれない。

すでに自己責任を知って生きていたクリスティーヌとママと公園とアパルトマンのキッチン。服を着ることと選ぶことと生きること。それについて想いを巡らせるたびに想い出すクリスティーヌとのこと。

おわり。


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鈴木 郁子(Ikuko Suzuki)
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