ヒトがいるところには物語がある
最近思う。
物事、出来事には意味がある、と。
先週書いたように、
起床からの自分の全ての選択の意味を
いちいち解読してたら、
先に進めない、
ってことはあるにせよ、
例えば、 学生の頃の
例えば歴史の勉強の部分で
重要と思われる出来事と年号と
主役人物なんかを紐づけて覚えようとしていたけれど、
そこにあと一歩、
『その出来事が後の時代にもたらした本当の意味』 とか、
『当時はそう言われていたけれど、
それはある側面からの意見であって、
反対側からみたらどうなのだろう』 とか、
教科書にない解釈を探りあったり、
話し合ったり、
そうしたことの方が大事なんだと思う。
それは日々起きていることにも
先週の出来事にも
明日の予定にも 柔軟に
広角的に
発展的に
思慮的に
捉えていこうとする
強く、
深く、
広い、心。
それぞれの立場で物語にしてしまうけれど、
そういう人間の情緒と 出来事を切り離したり、
再構築したり。
ただただ、
タイトル通りにみるだけではいけない。
それぞれに物語があるものだ。
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