タカさん

4年前に職業人生からリタイアして好きなことに専念しています。横浜と宇都宮に行き来して気…

タカさん

4年前に職業人生からリタイアして好きなことに専念しています。横浜と宇都宮に行き来して気儘に生活しています。

最近の記事

塩原高尾太夫のこと

40歳台の頃は毎週のように東京の街歩きをしていた。初秋のある晴れた日に日本橋中洲辺りから清洲橋を渡ると、隅田川の水がたっぷりとして淀むような「三叉」という合流点が左手に開けて来る。 川筋に沿って南に歩くと朱色の小さな神社がポツンとビルの隅に建っており、気になって祭神は誰だろうと説明板を読むと「塩原高尾太夫」で、それも彼女の頭蓋骨が中に納まっていると云う。 「塩原?」と云う文字と「髑髏!」と云う棘々しいイメージに心が震えながら、神社の由来に記されたその出来事に一寸衝撃を受け

    • 塩原高尾太夫と平塚らいてう

      平塚らいてう(雷鳥)と云えば「原始 女性は太陽であった」で始まる女性同人誌「青鞜」の創刊者である。 1911年(明治44年)の創刊号は高らかに、良妻賢母的な国家や家制度の慣習に縛られず自我を解放して行く「新しい女」達を宣言した。 翌年夏から元号が変わり、いよいよ大正デモクラシー時代に入るその入り口の処である。1911年はもう一つ演劇界でも、主人公ノラが自我に目覚めて因習的な家や夫を捨てて旅立つと云うイプセンの「人形の家」が大評判を博した。そのノラ役の松井須磨子はこれがデビュ

      • 12月8日に思うこと

        過去のもの として忘れてはいけない。 「何故 戦争に至ったのか?」 読書を重ねています。 米国の1924年の排日移民法の成立とそれに対しての日本側の失望と反発、 特に民政党内閣の国際協調派(ワシントン体制や不戦条約推進派)への批判、 国家的自尊心を傷つけられた国民新聞や雑誌「日本と日本人」などの国粋派を中心とした大アジア主義のナショナリズム扇動、 欧米近代文明とその欺瞞性を殊更に煽った一部のジャーナリズム・文学者などの「日本回帰」、 ソ連のコミンテルン活動等に同調した左派系

      塩原高尾太夫のこと