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【厩菓子】ピスタチオクリームのパンと鴻巣の陶器店

 今年の春頃だったか、近所のドラッグストアのパン売り場でその場の雰囲気にそぐわない商品を見つけた。瓶と蓋のサイズがぴったり合ったデザイン、鈍く光る銀のキャップ、それにくすんだグリーンのパッケージには見慣れない英語じゃない文字。魅惑的なお姿に、数日考えてから購入した。スプレッドにしてはいいお値段で、使わないで終わってしまうのはあまりにも勿体無い。そのときはひな祭りの菱餅風なシフォンケーキを焼くのに使うという名目で購入したわけだ。
 甘さは強め、特徴は栗の花に似た香りがある。それが大人ぽい。トーストなどと直接口に入れると好き嫌いが分かれるかもしれないが、焼くなど加熱するとちょうどいい。二、三度使ったあと残っていたのを、今日はアーモンドクリームの代わりにパンに挟んで焼いてみることにした。アーモンドクリームの代わりに、一次発酵を終えパン生地にはさんで二次発酵してから焼く。オーガニックのレーズンを散らしサンドしたパン生地の上にドリューをしっかり塗りスライスアーモンドを散らして焼いた。
 生地とクリームを段々にしたので、できあがったパンはデニッシュのように一段ずつ剥がれる。それぞれの層に染み込んだピスタチオクリームが香り甘くて美味しい。多分、エスプレッソが一番あう。秋風が吹き出した。濃厚な味が好まれる季節になった。

 ピスタチオクリームをみていたら、今年春、埼玉の鴻巣へ墓参りへ行ってたことを思いだした。鴻巣は両親の墓があるが、私の人生においてほとんど感慨を感じることがなかった。自分は横浜生まれだし、大人になってからはあちこち転々としていた。埼玉には5年ほどすんだが、その間都内で仕事していたためその家は荷物の置き場所であって生活の場という感じがしない。しかし定年を過ぎた両親が住んでいて、父はそこで亡くなったのだからそれなりに意味がある場所ではあるのだけど。
 しかし不思議なもので、私の人生において『場所』はいつも鍵を握っている。旅行で何気なく立ち寄った場所にご縁が生まれるのだ。トランジットでたった二時間降り立ったオランダに息子がお世話になることなり、その彼を訪ねて再訪することになったのはコロナの直前だった。
 話をもどすと、鴻巣は両親が横浜にあった実家を売り住み替え先として見つけた土地だが、偶然横浜出身の結婚した友人が移り住んでいた。私はアパート代を浮かすため遠距離通勤を覚悟して両親の家に同居させてもらうと決めたが、その時には鴻巣に墓参りに行くようになるとは想像しなかった。
 その後、結婚して茨城に住むようになったが、あの頃はまだ圏央道も通っておらず鴻巣と茨城は遠くて不便な関東僻地だった。今は自宅近くを通る高速にのれば一時間で到着する。友人も住んでいるし、お墓参りという名目でドライブするのに最適な距離になった。そうやって自分とは距離のできた土地を別の目で探索するといろいろ面白い。
 先日の墓参りでみつけたのは、骨董品店並みの品揃えの陶器店だ。JR鴻巣駅近くの旧中仙街道沿いは街並みがそろっていて綺麗だが、店は昔からつづいている歴史のあるところが多い。たくさんの在庫をかかえた昭和初期からの店がそのままの状態で営業をつづけているのだ。友人との約束に時間があったので入ってみることにした。

鴻巣市のまるしげ食器店 
グーグルマップより


 入り口あたりは昭和の商店という感じ。クリーンセンターや観光地の骨董店にみかける火鉢がずらりとならび、土埃を被っているのもある。一見して入りたいと思う店ではないと思う。目的がなかったら私も入っていなかったと思う。私はその入り口の火鉢に興味をひかれたのだ。以前クリーンセンターで見つけた高さが80センチほどもある大きな火鉢に惹かれたのだが、迷っているうちに売れてしまった。玄関近くの植え込みあたりに置いて竹なんか植え込んだら風情がってよさそうだったのに、と残念で仕方ない。
 そのときからいい感じの庭につかえそうな火鉢をずっと探していたのだ。店の中にはまだいくつも種類があって、奥へゆくほどバリエーションも増えた。そこはあくまで骨董屋ではなかった。火鉢は奥に並んでいるものは、まだ紐のかかった未開封の箱に入っていて、だいぶ傷んでいたり虫食っていたりしているが梱包されたままだった。
 ちょうど、今治で生地として整形されたまま色付けや焼き付けされてず数十年間放置された焼き物を新しくデザインし商品化しようという取り組みをラジオで知ったところだった。昔の食器の斬新なデザインや、洋と和をむりやり混在させた感じが昭和っぽく、可愛らしいし都内の百貨店で開催される展示会をのぞきに行こうかと考えていたくらいだった。
 この店は奥に広く、そこを昭和一桁からの在庫がひしめいている。リサイクルセンターやセカンドハンドショップで見つからなかった懐かしい模様のタンブラーや湯呑みなんかもずらりと並んでいる。さながら昭和と食器に特化したテーマパークみたいだ。今はレアなファイヤー・キングのノベルティーカップも少しだが並んでいた。
 こういう店はひっそりと生き残るものらしい。ウキウキして眺めていると、思いのほか若い店主が寄ってきた。「ファイヤーキングはこれそれ」と説明してくださる。ひとしきり説明がおわると、ここにも書いてありますからと棚につけた説明書きを指差して離れていった。
 言われて見渡すと、要所要所に同じような説明書きがついている。それに店頭の商品は土埃を被っていたが、店の中は整理されいた。懐かしいですね、というと
 「最近はそういう人が多くてね。ネットショップなんかぜったいにやらないで、っていわれるんだよね」
 と店主は言った。
 外の明るさが嘘みたいに、中はひんやりして薄暗い。ところどころの壁の棚につけた蛍光灯が照らす程度の暗がりは、自分の子供時代がそのままそこにあるみたいに懐かしかった。
 「いろいろ来てくれるけど、いちいち説明されるのも面倒臭いでしょ。だからカードにしたんだよね」
 あんまり売る気はないらしい。でも十分ここは私にとってはアミューズメントパークだった。店主は向かいのレルトランのシェフと話し込んでいる。午前中のこと、仕事始めるまえのおウォーミングアップって感じか。
 「ここはね、古い品がならんでいて面白いよ。でもね、全部新品なんだ」
 仲良さそうに、ランニング姿でやってきたシェフは今日の仕込みの話を大声でしながら私にも声をかけてくれた。
 小一時間、あれこれみて気分は昭和満腹。つられて思い出もそぞろ出てきた。小学生の時横浜の実家は改築をした。母は、毎日十時と三時にお茶とお菓子を職人さん達に出した。その時につかった湯呑みとそっくり同じものを見つけた。それからごく小ぶりの上品な柄のどんぶり。最近、笠間の骨董屋で、大正時代のを見つけたが、それより新しく丸いフォルムが気に入った。約束の時間が近づいていた。ひやかし客と思っていただろう。値段を言われてヒヤリとした。そうだ。古いけど、新品だったのだ。
 暑さが落ち着いてきた。お彼岸が終わったばかりだけど、また鴻巣へ行きたくなった。実家がなくなってから愛着がわくなんて不思議だけど、商売っ気のないまるしげ食器店に行って昭和にまみれたくなった。
 あの時帰りがけに店主は、入口近くまでやってきて道路をへだてた反対側の飲食店を指差していった。
「あのメイキッスっていうレストランはね、昔銀座にあった有名店なんだよ。よかったら今度行ってみて」
 
 そう、その店にも寄ってみたいと、思っている。

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