7月17日
水曜はジムが休みだ。だから雨が降ったら困る。雨の中を走るか、今日一日下半身に溜まった血液を戻すためのランニングを諦めるしかないのだ。
午前の終わりギリギリに家を出て仕事場に向かった。途中コンビニによってためにためたお中元のお礼状の束と、次男に来た健康保険証を入れたレターパックをポストに投函する。この辺りはもう歩行者ベースにポストの位置は考えていない。ポストに用があるならまずコンビニを探せ、だ。
投函して車に戻ると携帯が震えていた。わずかな間に回復した日差しがややもすると携帯を取り落としそうなくらいにあたためていた。電話は家を出る前に歳暮に用意していたお菓子のお裾分けをした隣人からだった。
「いま外なんだけど、どうした?」
「外なのか。じゃ、いいや」
この気軽さがいい。
「着物の裄合わせようかと思ったんだけど」
「ごめん、いないよ。」
隣人は最近すだれベランダに吊ろうとしてハシゴから転げ落ち肋をおった。もうほぼ完治しているが、今でも痛むので着物の帯板見たいのをコルセットがわりにつけているところを見かけ、今度着方を教えてほしいと頼んだ。それがいつの間にか彼女の中で着物を譲る話に変わっていたらしい。
残念だなぁと思いながら、車をすすめついた時ちょうどお昼の時報が鳴った。この人は生まれたところが、私の母が嫁いだ、つまり父の実家のごく近くで、近所の立ち話の中で奈良岡朋子だの根津権現だのと母の口から聞いた懐かしい名前が飛び出し、ケセラセラを都合の悪い時には唄い、なんだか知らないが『ガデンメンサナダビッチ』と呪文をよく唱える。あとから、それがGoddam ma'am, son of the bitchだと気づいた。
寂しくなるとこの人に会いに行く。とっても大変な経験をしてきた人なのだ。だのに、いつも明るくて元気。具合が悪いとか、悲しいとかそんなことは「自分のご機嫌は自分で取りなさい」と身をもって教えられているような気がしてくる。
その彼女が、去年我が家の家人が倒れ私が精神的に病んでいる時、別の隣人に近所のコーラスをおすすめされた席で「この人、今そんなことしている場合じゃないのよ」と、本人に代わってやんわり断ってくれた。
前払いの出張費を返金しない輩がいたりするけど、私の職場の一日は終わり、家に帰る。まだ明るいから犬の散歩をしていると彼女は、脳梗塞を患った老犬を散歩させていた。私を見て「やっぱり」と納得した様子。
「あんたはやっぱり大きくてだめだわ。ツンツルテン。おはしょりもでやしない」
その歯に衣着せない言い方が心地よかった。子分になった感じ。母もこんな言い方したっけ。住むところが近いと性格とか口癖も似てくるのかもしれない。天が使わした母の代わりかしら。
越してきたばかりの頃、毒親という言葉が流行り出した。烈母の母をもしかしてそれかしらと疑い始めた。だって川崎に近い神奈川の街から池袋の塾まで一人で電車に乗り塾に通わせられたのだから。母になった自分にはできない突き放し。子育てをしていると子供の時の疑問がふわりと再生されることがある。しかしその実、このことは私自身結構楽しんでいたんだけどね、親の視線を得て振り返ってみるとその事実はまた別の見え方がして。
一度気づくと頭を離れないもので、気づけば年上の隣人に相談していた。悩んでいたんだろうなぁ、相談する相手もなく見栄ばかりで、少々育児ノイローゼだったのかもしれない。深い考えもなく、吐き出すよううに口をついて出た。彼女は嗜めるでもなく、頷いてくれた。
十年以上経ち私の子育てが終わりライフサイクルが巡ってみると、母の思いがちゃんと見えてきた。女の母の思いとか挑戦か、一元的な理解を超えた諸々な思いが見えるように最近なった。娘としてじゃなく、女の同志として母は私に接していたんだった。家庭人として『ああして、こうして』と画策しても思うようにいかない時母はケセラセラをよく歌った。
雨が降らなくてよかった。
犬と家に帰ると遅れた夫が帰ってきていた。ランニングウエアに着替え隣人の庭先を通ると、雨戸を閉める彼女の声が聞こえる。歌を歌っている。
ケセラセラ
Whatever wil be will be
美しくも、
リッチにも、
「なるようになる」じゃなくて
「なりたいようになれる」だ、きっと。
それが今の時代の解釈。
希んだ未来しかやってこないのだから
今この瞬間はあなたが選んだ今。
今をオープンマインドで受け入れよう。
それがケセラセラ
ハートの明るい彼女はそんなことを教えてくれているようだ。