わたしのアイコン
聡明な女は仕事に出て部下を使い、夫と家事分担し・・、というのが今かもしれない。
わたしん時の聡明な女性は料理がうまかった。
そう言ったのは「桐島洋子」さんで、彼女はわたしと少し上の世代にとってアイコンだった。東大駒場に高校生の時から出入りして講義を受けたり、文藝春秋に入社して二十歳で記者になり、アメリカの退役軍人と恋に落ち子供を授かり・・・。とここから始まる彼女の人生の波乱万丈。その痛快さ。誰も真似ができない。のちにクロワッサン症候群という言葉が生まれるきっかけになった新しい人生観を持った女性代表。
揶揄されることもあったらしいけど、私には依然と桐島さんはアイコンだ。子育てには賛否両論もあるみたいだが、当時過干渉ほどの子育てがあった時代にその反対を選んだやり方は彼女なりのアンチテーゼだったのかもしれない。
また、彼女の生活の仕方は、実に日常を楽しみ、家を楽しみながら、一ヶ所にこだわらない自由な生き方で、英語力と文章力を武器に自由にどこでも、そしてライフプランにこだわらず自分がしたいことを実現する意味を証明している。彼女の本が人気だった頃はまだ、今のような時代じゃなかったから、きっとそんな自由にしてという女性の反感を買ったのだろう。私が傾倒していた時代の後にクロワッサン症候群の時代があったことは知らなかった。
私がここに彼女を引っ張ってきたのは、そんな彼女が実の楽しげに「家事」をやっている記述が著作の中にあるから。アイスクリームを昔ながらの樽と氷で作った話や、子供たちと移り住んだアンカレッジの家で田舎暮らしをする話、料理の話もたくさん出てきた。今の時代のキラキラとはトーンは少々違うけれど、工業製品に頼るばかりじゃなく、原型や由来に戻って昔ながらのやり方でやってみる。その苦労も楽しむという精神は、高校生の私にはキラキラしていた。
今は認知症を公表されている。長女の桐島カレンさんは素敵なライフスタイルを提案しているが、その一端はお母様の楽しむ心に源泉があるかもしれないと強く思う。
懐かしくなって探したけれど、大事な本ばかり集めた段ボールが丸ごと消えていて見つからなかった。
淋しいアメリカ人
渚と澪と舵
女が羽ばたくとき愛・自由・旅のノオト
聡明な女は料理がうまい
さよならなんてこわくない
マザーグースと三匹の子豚たち
カレンとノエルとママ洋子
Amazonならあるかしら。
自由で、当時の家や女性、子育ての考え方にハマらなかった彼女を批判したのは奇しくも母校の先輩だった。こちらも合わせて読んどく。
1988年に刊行された松原惇子の『クロワッサン症候群』。
これ以降、クロワッサン誌は編集方針を変えた。その動向を押さえておくのも面白いだろう。
どちらの時代も時間が経ったあの時の未来、今はどう見えるか。
わたし?
周りの評判を気にしてやらないでいるより、明日の自分を心配するより、今、今やりたいことを、周りを巻き込んでやっちゃった、桐島さんに軍配が上がっていると思う。
そう考えるのは、還暦を過ぎた今だからかもしれないけどね。