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#茨城が大好きです

「むしろ、きてもらわなくて結構、てところですよ。実のところ」

 その老紳士は言いました。紳士と云っても、呑んで帰れる距離にお住まいなのは推察できました。それゆえの軽装。白いスネ毛がふわふわ店の照明を反射して光っていました。そんなラフかつリラクシングなスタイルでのお出ましでした。

「あのお客さん、もう定年されてるんだけど、大学で数学を教えていらしたのよ」

 いきつけの居酒屋のおかみさんが教えてくれました。お嬢さんが最近ドイツに留学から戻ったことから、自分も同じ年頃にドイツに住んでいたことを話したところでした。
「私にもね姪っ子がいて、もう定年に届いてますけどね、それがドイツの銀行に勤めていたんですよ」
 脳裏にフランクフルトで会った女性が浮かびました。銀色に光る高層ビルの上層階にあったドイツ銀行にいた日本人女性です。何かの用事で出掛けたときに見かけました。普段はいきません。会社が手続きしてくれたキャッシュカードで引き落としするだけですし、必要でもおそらく自分一人ではできなかったでしょう。
 それに比べ、その女性はドイツの会社に日本人として働いていたのです。その頃、日本企業が海外に支店や支社を構える流れがありました。その窓口として雇用されていたのだと思います。ドイツ人は、仲良くなれば違うのでしょうけれど、そっけないことが多く愛想はありません。格式の高さを感じさせるオフィスへ入ると、銀行員の目が一斉にこちらを見ます。ここは地域のヘッドクォーター的役割があるのか、一般のお客はほとんどいません。スーツにメガネの銀行員スタイルの肩がガラスの向こう側で無言で働いています。
 そこへ二十歳そこそこの日本人ですからこちらはひるむし、あちらはなんだ、という具合に目をそらしてしまいます、全員です。そんな中、どうしたらいいかわからず立っているしかなかった時、ようやく目を上げて対応してくれたのがその方でした。しかし、とく親身というわけでもなく、いつもは使わない自分の能力のスイッチを入れて対応したという感じでした。笑みもなく、なんだか日本人として裏切られたような気がその瞬間したのは確かです。
 しかし、用事を済ませて戻ると、彼女はさっきまで一瞬見せてくれた日本人っぽさを消し去りドイツ人の中で対等に仕事をしている姿はとても格好良かったのを覚えています。厳しいドイツの規則の中で自分がポジションにふさわしい人間であることを証明しなければならないですから、余裕などなかったのだと思います。彼女の後ろ姿からそれが伝わり、メランコリックになっていた自分を恥ずかしく思いました。

 甘かったな私は。

 そんなことを思い出していました。彼女が銀行でポジションを得るまでの努力を私がしていたら、今頃はここにいたんだろうか。

 さすが数学を教えていた方のご親戚です。きっと姪御さんも数に長けていたんでしょう。知らぬ間に自分がドイツで出会った女性と、隣席の方の姪御さんが同じ人物になっていました。

 いろんな話をしてくださいました。最近はまっているのは、昔の日本の姿を外国人がどう描き伝えたか、それを一冊にまとめた本でした。
「これを読むと、日本は特別な国だという気がして仕方ないんだよね」
 近年の西洋化、グローバルスタンダード化は退化みたいに感じていらっしゃるようでした。それに比べ、近頃、三月の上旬のことでしたから、まだCOVID-19は問題になっていなかった頃ですが、それでもどこか巷に倦怠と懐古主義的な空気を感じていたので、お話ししてみると・・・。
「そうだね、日本はちょっと特別な感じがするよ。戦争を経験したからかな。地震もそうだ。いや、それだけじゃない・・・」
 茨城も端っこでしたが、9年前の地震の時には被害を受けました。
 被害を受けたから思うのではないですが、本当に懐の深い土地です。海もある、低いけど山もある。関東平野でも一番の面積を持つ平らな大地がある。生活と、自然のレジャーが一体化した場所です。レジャーって、元々の意味は暇つぶしとか、手すきって意味です。暇つぶしのために必死になるのと違って、一日の時間の合間に・・・、って言うのが理想なんじゃないでしょうかね。
 それなら茨城はレジャーに溢れています。海釣りや山登り、沢や釣り堀もあちこちに。果樹を摘んだり、海に向かって開けた公園で野外コンサートも開かれます。海外への玄関口も近い。あまりに普通にあるので、特段宣伝などしないのかもしれません。普通の生活をしながら、来るお客さんをもてなすというやり方だから、正直ちょっと客商売が下手だなと思うところがあります。
 普通に、清流を堰き止めた池で鮎と岩魚を養殖していて、それを釣り堀で釣れますからとか。普通に、ブルーベリー農園で市場に出荷していますが、来てくれたお客さんには摘み放題してますから、とか。サービス精神、ないんです。盛り上げようとか、回転よくして収益上げようとかあまり思わないみたいです。楽しく、自分の仕事をやりながら、外から来てくれるお客さんとも触れ合う、ぐらいな感じなんですもん。

 しかし、住むとなると、とてもいいところです。観光スポットらしきところは局所に限られていますから、普通の生活があります。もしかしたらだいぶ安いかもしれません。ちょっとサービス精神は足りなくて、ちょっと見栄えを気にしなさすぎるところがあるかもしれませんが、わかってしまえば実質第一のいいところです。

 県庁に営業課というのを設置した成果だそうです。2020。コロナ禍で経済が冷える中、魅力度ランキング最下位を脱しました。『祝!』
 トラブルが起きると、いつも何かと大きい茨城ですが、日立水戸藩が現代になってすこーし南に伸びた。そんな一つの國と思っていただければ、面白いこと一押しですってば。

 お隣の、千葉の南に、東京大学のキャンパスが来たことにふれ、くだんの老紳士が言いました。
 「むしろ、観光客の方には来ていただかなくていいと思うんです」
 生粋の茨城県人のもと大学教授は力説しました。そういえば、水戸光圀も諸国漫遊されたけど、結局水戸に帰ってきた。茨城は住んで、外へ出かけるのがいいんです、きっと。
 教授はきっと、こう言いたかったんだと思います。
 住んで、ズッポリ、ここの良さを味わって頂戴。


「ナイトキャップがわりにね、少しずつ読むんですよ」

その本のタイトルをおっしゃって、千鳥足で帰っていかれました。その場でググリマシタ。

『逝きし世の面影』渡辺京二氏著

読書人垂涎の名著、だそうです。こんな出会いがあるのも楽しい。

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