見出し画像

打合せは、赤牛のハンバーグになる理由。

写真は、新宿高島屋で、赤牛のハンバーグ(ツバメグリル)を食べながら、打ち合わせしている時(2022年12月)に撮影した物である。

加藤さんとの出会いは、30年以上前に遡る。1990年頃、加藤絋さんから、取材を受けた。香港での生活、仕事の仕方について簡単な質問で取材は終わった。取材後の雑談で、加藤さんの生まれは1953年(昭和28年)であり、
僕と同年代という事で会話が弾んだ。その時に、香港には、にっぱち会という集まりがある事を知り、勧められて、その会員になった。

香港では、大げさに言えば、24時間眠らない街だった。殆どの時間を仕事するのが普通だった。それ位、忙しく、毎月、にっぱち会への参加が、楽しく、開催は続いた。にっぱち会を通してのお付き合いだった、加藤さんは、その後、独立した。自分でニュースメディアを立ち上げる事になった。加藤さんの会社の、IT関連の仕事を、僕の会社で請け負う事になった。

そして、1997年に、香港は中国へ返還となった。2000年を越えると、にっぱち会のメンバーも、日本への帰国が増えて、事実上、「香港にっぱち会」は、活動を止めて、閉会した。その頃、既に帰国した有志が、「東京にっぱち会」「にっぱち会東海支部」と各地方集まりやすい所で「にっぱち会」を立ち上げた。その活動は、現在までも続けている。ちょうど良い距離感が保たれる。にっぱち会は、プレッシャーを感じる事のない集まりなのである。

還暦が近づくと、是非「還暦」を香港で、過ごしたいという意見が上がってきた。還暦の時点では、まだ、僕も、香港にも仕事があり、移住先のセブ島との二重生活をしていたのである。そんな事から、香港側での幹事を、僕が引き受ける事になった。

懐かしい香港にっぱち会のメンバーで車公廟にお参りした(2013年)

夕食の時に、にっぱち会のメンバーが一人一人、「還暦の抱負」を語る事になった。その席で、加藤絋さんが、「実は、中国を舞台に、日本人が活躍する小説を書きたい。」と挨拶され、皆さんからやんやの喝采を浴びていた。

後日、加藤鉱さんから、小説を書くから協力して欲しいと言われた。僕の周りで、起こった事をベースに、加藤さんが、本当に起こった「時事」を加えれば、臨場感のある小説になる事は間違いないという魂胆である。

小説にする作業を一年程、加えて、出版社である集英社からの時代考証等の質疑応答があり、加藤さんの小説は、我々の還暦から2年後に発売となった。興味がある方は、アマゾンの書籍で購入ができる。かなり過激な描写もあるが、あくまで「小説」であり、事実ではない。主人公の様に中国で活躍してみたいものである。

この小説の打ち合わせは、ほとんど、高島屋のツバメグリルで行った。週に2回とか、結構な頻度で、通ったのだ。ウェイトレスのお姉さんから、「ハンバーグがお好きなんですねぇ〜」と呆れられた程だ。今でも、加藤さんと会う時は、新宿高島屋のツバメグリルで赤牛のハンバーグを食べる事になる。