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小説ICT支援員業務日誌③「教科書の写真」

 GIGAスクールでタブレットが導入され、ただでさえ忙しい教師は四苦八苦していたけれども、最近慣れて授業に役立てる人が増えた。これは教師と生徒の為に最善を尽くすICT支援員である私も役立っている気がして嬉しい。だから、IT機器の故障や不具合は最優先で直す。質問されたことはわかりやすく教える。知らないことは調べる。調べても分からないことはヘルプデスクに聞く。私は何でもするサービスマンのつもりでいる。野鳥のように嫌われてはいけない。橋の上で交差した女の子の様に笑顔で接して手を振ってもらえるように心がけている。3学期初日が終わり、駅まで歩いている時、スマホが鳴った。
「Kさん?」
「はい」
私は高圧的な態度で接する相手を好かない。
「YouTubeに教科書関係の写真をアップしているでしょう?」
「えっ。・・?」
咄嗟には思い出せない。
「何のことか分かりませんが?」
「cocoarの動画に教科書の写真を使ったでしょう。」
「cocoar」と聞いてYouTubeにアップした動画のことだと気がついた。あれは教科書ではない。
「あれは副読本ですが?」
「副読本でもダメ。」
保健体育の副読本に器械体操などを師範する動画を視聴するコードを読み取るアプリに「cocoar」がある。しかし、「cocoar」を使って付属の動画を見る方法を誰も知らない。だから、その使い方を説明するために副読本の画面をスキャンして使用法を説明する動画をYouTubeにアップして先生達に紹介した。
「それ。アウト。絶対ダメ。」
電話の後ろでさらに偉そうな上役の声がする。
「すぐに削除!」
「cocoar」は先生達のために作成した動画だが、私のチャンネルには授業で使うことを前提に作った動画のいくつかに教科書の写真を使ったものが存在している。10年ほど前から授業ばかりでなく、生徒のために授業の解説動画を載せている。コメントには感謝の言葉が並び、再生回数は数万回に及ぶものもある。音楽のように写真もYouTubeのチェック機能が働いていると思っていた。教科書の写真を「いらすとや」の画像と同じように考えていた。教科書ばかりではなく副読本の写真も使ってはいけないらしい。明らかに私のミスなので気分は悪い。
「いらすとやさんは使ってはダメですよ。」
あの優しい注意コメントだけで十分に応えた。それなの「すぐ削除!」はムカつく。いや一足飛びにICT支援員など辞めたくなった。しかし、たとえ辞めても違反は違反である。暗い夜道を北風が吹き付ける。補聴器で風音が増幅され心まで冷え込んだ。

 家に帰って風呂と食事の前に500本以上ある動画の設定を限定公開に変更して検索できなくした。気分の悪い時は嫌なことを思い出す。
「8年前、」
定年まで勤務した中学校のYouTubeチャンネルにアップした動画数百本を全て削除した。定年を迎える数年前から入学式・卒業式・最後の授業風景・部活紹介・壮行会・郡大会・県大会・演奏会・合唱コンクールなどを動画にしてYoutubeにアップしていた。iPhoneが販売された時期にYouTubeを見る人はいたが、自らアップロードする人は少ない時期に、強引に学校のチャンネル開設を校長に承諾させた。視聴回数とチャンネル登録者はみるみる伸びた。ただし、アップする前に点検を受けるのが条件だったから、クレームがくるような動画は修正されるか排除されていた。あの頃は生徒の姿を撮影した動画だから個人情報と肖像権に気をつけて校長と教頭の許可したものだけアップした。生徒や保護者からは大いに感謝されたばかりではなく、教師からも部活の試合などの撮影を頼まれた。その学校の再任用を辞して3年ほどして別の中学校で非常勤講師をしていた時、定年を迎えた前学校の教頭から職員室に電話があった。
「久しぶりですね。」
私があいさつをしても教頭の声は沈んでいた。
「申し訳ないんですが、H中学のYouTube動画を全部,削除してください。」
「何だと!」と激昂するほど短気ではない。また、
「あなたと校長が許可した動画ですよ。」
こう言いたかったが、言わずに教頭の状況を察した。つまり、削除命令を出したのは新しく赴任した校長であるから、教頭を責めてもどうにもならない。私が学校を辞める時、チャンネルを引き継ぐ職員がいなかったのでアカウントとパスワードを伝えずにきたが、伝えていたら私のところに連絡はなかった。
「最終決定権は校長がもっている。」
これが学校の原則で、在職中はいつもこれに苦しんだ。
 一つずつ動画を削除した、あれは苦痛と屈辱に満ちた長い時間だった。あれ以来、生徒や教師から「残念だ」「復活はできないのか?」と幾つもメールが届く。クレームは一つもないのに校長の権威に屈し、今回は著作権を盾に強権的な上役に命じられ悔しい思いが残る。

 突然、
「Sさーん」
妻は私に「さん」をつけ階段下から2階の書斎に届くように大声で叫ぶ。
「ご飯にする?お風呂が先?」
聴力の弱い私に届く大声に誘われ階下に降りる。
「どうかしたの。元気がないわよ。」
質問に微笑みで答える。
「まずは風呂に入る。」
彼女も笑顔で、
「わかった。」
71歳でも仕事に行き、役に立ったと喜ぶ時があれば、面白くないことにも出くわす。しかし、家に帰れば笑顔で妻が迎えてくれる。風呂に入るも食事にするも己の気持ち次第、風呂を出ればパジャマが用意され食卓に着くことができる。定年して再任用も終わって6年、ICT支援員として快適に働いている。これは一人で働いていると思ってはいけない。アルバイト料は妻と二人で稼いでいる。
 家は古いが旧式の台所は広くテーブルいっぱいに料理が並ぶ。
「いつも凄いね。」
「凄くなんかないわよ。これは昨日の残りで、ビーフシチューは明日の弁当のおかず兼用で、この鯵のフライは生協の冷凍でしょ。それにサラダよ。」
「やはり、凄いよ。」
寒い時は日本酒の熱燗。ビールもワインもウィスキーもいつでも飲めるようになっている。
「ありがとう。」
老夫婦だけの夕食が進み、妻が今日あった出来事を楽しそうに話し、最後に私に問いかける。
「何があったの?」
「心配させて悪い。」
「先生達のためにアプリの使い方を説明する動画を作ったけど、それに副読本の写真を使ったので派遣会社から著作権法違反だと注意を受けた。」
そうだ。結局、今日の出来事はそれだけなのだ。
「あら、そう。注意されるのは若い時から得意だからね。」
妻から見れば、もはや、私の特技なのだ。

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