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戦争を考える8月

 8月は戦争を考える時期。プーチンのウクライナ侵攻で例年とは随分と状況が変わっています。彼の考えは人間の考え方そのものだと思います。それを自らの教員人生を振り返りながら説明します。
 言葉で説得しても教師の指示に従わない児童・生徒がいると教師は大きな声を出します。しかし、それで終わりではありません。
叱る。
怒鳴る。
罰を与える。
それでも従わないことがありました。
虫の居所が悪かったりする時に手を出したことがありました。あの頃は体罰を容認する風潮がありましたが、しばらくすると人権意識の高まりで体罰ができなくなりました。
 しばらくして学校が荒れて教師の指示に従わない生徒が続出した時、校則を盾に秩序回復を目指しました。時には指導するため教室から追い出します。今振り返ると、学習する雰囲気を壊す生徒を仲間はずれする手段を使いました。友達集団で特定の人物を無視する「いじめ」と同じ手法です。
 彼らが暴れる原因を見極めることができませんでした。人権意識や核家族化で親の自信がなくなり育て方が変わったからのか、高校進学が一般化し勉強しても頭が悪い烙印を押される事に反抗したからなのか、未だに分かりません。問題は理解できずに指導したことではなく、理解しようと努力せずに教師の価値観を押し付けたことでした。あの頃、不良の多くは親や教師を大声で罵倒しました。そして、自分たちの欲求が聞き入れられなければ、大人しい生徒や不良仲間や教師に対して暴力を振るいました。
 私が新卒の頃、指示に従わない生徒に体罰を与えた根拠と変わりがありません。そして、核実験や軍事演習で反対陣営を脅したり、核兵器の使用をチラつかせたり、仲間はずれにして制裁したりする。これら世界の首脳がとった方法は暴力教師や不良の考え方と大きな差がありません。単に政治家の質が悪いのではなく、国民の多くが問題解決の手段として大声による恫喝や暴力や仲間はずれにする以外の方法をもたないからでしょう。
 謝罪したり話し合う手段をもちたいものです。


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