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踏切が渡れない

 我が家から700mほど離れた瓦工場で爆発が起きて、死者が出て、線路に破片が散乱して、名鉄三河線が一時不通になったらしい。
 私は事件当時、南中学校にいました。第二職員室でも消防車やヘリコプターの音が妙に騒々しいとの会話はありました。しばらくして、部活指導を終えた先生が教えてくれました。
「外では爆発音が聞こえて、サイレンなど騒然とした雰囲気でした。」
そして、続けました。
「今、校長先生達が現場を見に行ってます。」
 現場はクロネコヤマト近くの通学路だと気づきました。5時の勤務終了時間を過ぎ、帰宅途中で現場を見に行った先生達と道路の両橋で行き違いました。
 今朝、我が家で妻が教えてくれました。
「昨夜、ニュースステーションのトップニュースは高浜の瓦工場での爆発だったわよ。」
「クロネコヤマト近くの名鉄三河線の踏切で下校途中の生徒がたくさん溜まっていたわ。」
「踏切ぐらい、潜って渡ればいいのに?」
私がこう言ったら、彼女に反論されました。
「それは、よくない。」
しかし、事故現場から工場の壁が踏切に散乱しているのが見えて、踏切が5分も降りたままなら、遮断機を押し上げて注意して渡ればいい。しかも、三河線は単線だから安全確認は容易にできる。こう思うのだが、妻には反論せずに作文に書いている。
 自分の都合だけで規則を破るのは賛同できないけれども、何のための規則なのかを理解して、規則を破ってもいい時があることも生徒に教える必要がありそうだ。しかし、これを学校で指導するのは難しい。なぜなら、生徒はいつでも先生の言葉を自分の都合のいい様に受け止めるからです。
「自分が考えて良いと判断したら、規則は破ってもいい。」
「先生が言った。」
こんな風に受け止められれば学校に責任が生まれます。私なら、こう反論する。
「それなら、君たちは先生の教えたことは何でも守ってくれるのか?」
こんなやり取りをする必要はない。生徒は教師の教えることを全て守るのではない。大人も含め人は、いつでも人に教えられたことを守るより、常に自分の都合を最優先に考えます。
 踏切の事例。
 遮断器を潜って渡る人が誰もいない状況で、最初に渡ったら自分が非難されるかもしれない。最初は嫌だが、みんなが渡り始めたら自分も渡ろう。生徒もこう思っていたはずです。
 

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