想像力
新聞にまともな記事が見えるようになった。中日新聞「視点」に掲載された前法政大学学長の田中優子さんの指摘は、毎日の食べ物に困る人々や医療現場で働く人々、老老介護に明け暮れる人々に言及して、オリンピックどころではない人々を思う想像力が欠如している。オリンピックが終わった後に残るものは「結束」ではなく「分断」だと断じた。また、「論説」にはオリンピックをボイコットしたミャンマー選手とデモに参加して亡くなったアスリートについて伝え、アスリートにも「倫理観」が求められていると言う。オリンピックどころではないミャンマーに支援の手を差し伸べない日本やASEANを非難した。また、地球規模の風水害で苦しむ人々を救うための対策が必要な時であるとも論じている。
日本政府が行うべきことはオリンピックを開催することではない。そんなことは東京に決まる前から分かっていた。あの時、自分のことしか考えない想像力の欠如した人間がオリンピックを誘致した。今、金メダルの個数を誇っている場合ではない。足元のコロナ感染を抑え医療崩壊を起こさずにコロナを克服し、正常な生活に戻し、圧政に苦しむ人々を支援して、地球規模の災害を無くすために結束が必要な時なのにオリンピックは完全に間違っている。
オリンピック招致にはしゃいだ人々や自分の目的を叶えることばかり願うアスリートや感染が広がってもいいからどうしても観戦したいと願う観客は想像力が欠如している。今求められているのは分断を助長するオリンピックではなく、SDGsに向けて結束することである。
「それなら、私は何をしたら良い。」
想像力があっても多くの人はオリンピックを非難しない。何故なら、旅行せず、外食せず、ペットボトルやレジ袋を使わず、散歩に出てもゴミを拾ろうような窮屈な生活を強いられる気がするからだ。確かに、意見を言い人を非難すると火の粉が自分を襲う。私の場合は幸にして、非難して、初めて自分が追い詰められたことを知るような凡人である。正直に自分の意見を言うことが私の想像力を育んでくれる。私とて窮屈な生活は望まない。それを努力目標に据えて、他にできることを目指す。
「作文を書いて主張する。」
こう言いたいけれども私の作文では影響力はなく負け犬の遠吠え、蛙のツラにしょんべん程度だ。まあ、それでも黙っているよりはマシである。また、20名にも満たない数の生徒ではあるけれど自分の意見が言える生徒を育てようと思う。その手段としてコンピュータはとても有効だと思うから、コンピュータの使い方を後輩の教師に伝えていこう。
今、私のできることはこれぐらいだ。
写真はミャンマーで検索して出てきた世界三大仏教遺跡の一つ、バガン遺跡
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