正義
名古屋刑務所の所長が視察委員会に対して「暴行の事実は無い」と虚偽回答した記事を読んで学校のいじめ問題を思い出した。
学校でもいじめの内部告発は滅多にない。けれども、いじめられていそうな雰囲気を担任は感じることは多々ある。そう感じると、被害者と加害者と思われる生徒に個別に聞くことになる。けれども、被害者も加害者も否定する。多くの教師はこれで事情聴取を終わらせてしまうけれども、私は違う。学級委員や正直な生徒を呼び出して、彼らを脅した。
「君を信用して尋ねる。〇〇くんが△△達にからかわれたりしている場面を見たことはないか。この質問は他の生徒にも聞く。その時君も知ってるはずだとわかると、君は嘘をついたことになって、いじめグループの仲間だということになる。また、君から聞いたことは誰にも言わない。だから、君も先生に聞かれたことは誰にも話してはいけない。」
こんな質問を数人にすれば、具体的ないじめの証拠が出てくる。幾つか証拠を固めて被害者にいじめを認めさせてから加害者に認めさせた。
新聞記事を読んで暴行を受けた受刑者やそれを知っていそうな受刑者に対する調査をしたと報じられていない。だとしたら視察委員会はその程度のものなのか疑問を感じる。存在価値がないことになる。
組織は「いじめグループ」と同じで組織を守ることが何より優先されるらしい。内部告発をすれば、いじめグループからリンチされる。だから、所長であっても平気で嘘をつく。こうは考えたくない。
子供の頃、よく言われた。
「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ。」
これは死語になった。まあ、閻魔様は死んでからでないとお目にかかれないから現代人に効き目はない。現実世界の閻魔様は「正義」になる。正義を担うのは報道と世論だが、教育機関にも「正義」について生徒に考えさせる機会を多く与えることが求められる。会社にも「正義」を求めるべき時代になっている。嘘をついて組織を守っても結局、嘘をついて評判を落とし会社に大きな損害を与えることになる。
嘘つき所長も報道と世間と閻魔様に痛い目にあった。そう考えたい。
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