帯鋸
昭和40年代という年は高度経済成長の最頂点ともいえる年代であり、加速する需要に追いつくために様々な模索のあった年代だと言えます。道路、輸送機材、人材、戦後の焼け野原を忘れ去るように真新しい色で国土が彩られてゆきましたが、そこで一つの機械が、増える需要へ応えるように爆発的に増えました。それが帯鋸、製材機と言われる工作機械です。
現在では品物の流通には段ボールを用いるのが通常ですが、当時は野菜、鮮魚を送るにも木箱が主流であり、特に生鮮品を輸送するには頑丈で安価に作れるトロ箱が大量に必要でした。そして木場から陸揚げされた大木を個々の材料にする帯鋸も全国各地で稼動するようになりました。どのような木工品においても製材という工程は必要不可欠であり、この機械がないと仕事にならないのです。
大小は様々ですが、私が常用している帯鋸は6馬力モーターで毎分4000回転ほどの中型サイズです。製造は昭和42年、中田製材木工機械製作所です。モーターや駆動部品の交換を数度ほど経験をしていますが、マシンの根幹となる上下のホイール、上部アームを支える鉄骨や下部定盤は当時のままの作業機械となります。鋸はテンションの仕方、送る材質にもよりますが一回の交換で7時間は連続運転が可能です。現在、予備を含めて6枚の鋸を使っています。交換の終わった鋸は地元の道具屋さんに以来して研磨をして頂いています。道具屋さんの話では100年以上も現役で稼動している機種もあるとのことで、本機もまだまだ扱えそうです。
最近では建屋の基礎が傾いたために、帯鋸のテンションを補助するバラストアームが機能しなくなり鋸に亀裂の入るトラブルにも見舞われましたが建屋の傾きを解消することで問題なく製材ができるようになりました。そして送材ローラーのVベルトも交換し、思いつく限りを尽くし作業にあたっています。
1200年以上も前からある仏教を梵字とセットで使い続けている日本人にとっては、道具の古い新しいは関係ないのだと思います。使えるものはとことん扱う、それでいいのです。
人の生活がある限り生きていける、そんな世の中であって欲しいです。