誰が悪いわけでもなく、単に運が悪かった
さる6年前の7月8日、七夕のすぎたこの日に私は全ての呪縛から逃れるために1つの決断を執行しました。無能すぎる自分という存在への死刑執行。詳しい薬剤は書きませんがA液とB液の混合ガスにより八雲という人間はこの実体世界を後にして形をもたないあの世へと旅立つ予定でした。しかし計画は事前に漏れ、察知した身内により阻止され最寄り救命救急病棟へ移送されることとなってしまいました。今になって思えばそのまま旅立たせてもらえていれば、今も続く生きるということの苦しみから解き放たれて安楽な浄土での存在も可能だったので、阻止した人たちをちょっと憎んでいます。
事が事になるまでの軽い経緯を解説。死ぬ2年前より精神の不調をきたし近所のメンタルクリニックへ受診、3種類ほどの向精神薬を服用しはじめる。首から下は理想的な数値を叩き出していた健康体だったので問題は首から上が狂っている状態、処方されたSSRI等で寛解へ向かう予定だったのが度重なる相方とのソリの悪さ、増える仕事(役割)、増えない貯金、生きる事の難しさから全てを放棄してどうにでもなれ、そんな精神状態で通院から1年後の2016年夏7月8日、ついに私は瓦斯自殺未遂を起こしてしまう。
未遂後は3ヶ月のリハビリを経て主治医のあと半年は、は無視されて半完成状態で再び欲にまみれた下界へと放り出されてしまう。退院してしまえば健常者。訓練もそこそこに実践投入される学徒兵のごとく全てが中途半端な状態で社会と戦う羽目になったのですが、それも6年でお釈迦になりそうです。
今になって思う、俺という人格はわりとどうでもよくて、首から下についているボディの方が組織や家族にとっては重要で人格や意思なんてものは最初から考慮に値しない産業廃棄物なのだと。
先人の作ったシステム上の社会、雑な社会、雑に作ったくせに後から走る者には雑を許さない鬼のような難易度の社会システム。生きるのには難しすぎるのです、特に成人超えた男は人格や気質は無視、身体的能力や容姿のみで周囲の要望のみに答えられるだけに走らざるをえない苦行、この先にある未来に希望が持てないのは僕だけではないはず。
✴️批判は重々承知しているのですが、それらに答える技量は持ち得ていないのでここに書きなぐるだけの愚行をせめて許してもらえれば、私の魂もすこしは落ち着きます。