Vガンダムを見たので考察する
以前からこんなことを言っていた僕ですが、先日からVガンダムをついに見始めました。ええ、バンダイチャンネルのサブスクに登録した僕なんですがついに鬱ガンダムに手を出すことにしたんですわ。
ということで今回はVガンダムについての感想をまとめていこうと思うのでよろしくお願いします。
Vガンダムとは
「鬱ガンダム」という印象
この世には「鬱ガンダム」という言葉があります。作品の展開が鬱、作風が鬱、というわけで鬱になるガンダムというわけで鬱ガンダムというわけです。代表的作品としてはZガンダムなんかが有名じゃないでしょうかね、主人公は最後に精神を崩壊させて終わるという展開はかなり衝撃的な終わり方です。
そしてその鬱ガンダムの代表的作品がVガンダムでもあります。鬱ガンダムとして非常に有名であり、なにより富野由悠季監督はVガンダムを製作中にうつが重くなりまともに仕事をこなすことすら厳しい状況にまで追い込まれながら完成させた作品です。
そしてその鬱ガンダムという印象はやはり正しく、毎話毎話ノルマのように人が死んでいくという恐ろしい作品となっています。
しかし鬱ガンダム、それだけでこの作品の印象を決めてしまっていいのか。Vガンダムを見た今の自分は、それを否定できます。Vガンダムは面白い。鬱だけじゃなくしっかりストーリーに見せ場と深みがあり最初からしっかりと物語に引き込まれる魅力があるんですよね。
そんなVガンダムについていろいろ解説していこうと思います。
Vガンダム製作の背景
そもそもVガンダム製作の背景がいろいろあって、その前に作られたガンダムF91が劇場版作品でエンドロールには「THIS IS ONLY THE BEGINNING」と書かれていたわけなんですが、残念ながら続編は作られることはありませんでした。
バブル崩壊などのあおりを受けガンダムを製作していたサンライズはバンダイの子会社となることとなり、結果的にバンダイからの意向を反映して作品を作らざるを得なくなってしまったのであります。そしてF91の地上波アニメは製作されることがなくなり30年経ったいまも放置されています。
そうして始まった次のガンダム企画で重要視されたのは「主人公は少年」「敵は悪の帝国」「勧善懲悪」「合体変形メカ」といったわかりやすいストーリー構成で、富野由悠季はうつ病と戦いながらそのバンダイからの意向を反映させつつ自分の描きたいものを描くためにVガンダムを作りあげたのであります。
合体変形メカのリアリティ
本来兵器としてリアリティがない合体変形メカ要素をアニメの中でしっかり演出として運用しなければいけないというのはリアルな戦争を描きたい富野由悠季的には本当に厳しかったんだろうと思われます。しかしバンダイ側としては子供向けに合体変形できるおもちゃを売って儲けなければならない。そういった上からの意向が強く感じられる設定です。
そこでVガンダムにおいてはガンダムは今までの主人公専用機ではなく量産兵器の一つとして出てくるわけです。主人公陣営が貧弱なレジスタンスだからこそコクピットユニットだけで脱出して量産された上半身下半身パーツと合体して再びモビルスーツとして戦闘できる、コクピットユニットさえ脱出すればどうにかなるというシステムは貧弱な軍隊の選択肢としては納得がいける説明がついたわけです。
まあそんな感じで、バンダイから押し付けられた難題に対して富野由悠季はしっかりと答えつつも、自分の描きたい作品のテーマとしっかり両立させることができたわけです。
あらすじ
そもそもVガンダムとはどういうストーリーなのか、ざっくり解説していきます。
宇宙世紀0153年。宇宙世紀0070年代後半から始まった戦乱は30年以上にわたって続き、地球連邦政府の力は弱体化した。この機を逃すまいとコロニー群サイド2に生まれたザンスカール帝国は女王マリアを中心とするマリア教とマリア主義による「女性中心の世界の構築」を訴えギロチンによる恐怖政治とともに実権を握った。
一方ザンスカール帝国の恐怖政治に対しヨーロッパでレジスタンスとして抵抗運動を続けていたリガ・ミリティアはヴィクトリーガンダムの生産を開始し反抗の機運が高まっていた。
チェコの13歳の少年、ウッソ・エヴィンはパラグライダーで飛行中にザンスカール帝国とリガ・ミリティアの交戦に巻き込まれ、リガ・ミリティアの兵士として従軍していくことになる。
といった感じのストーリーになっています。やっぱり主人公は13歳の少年、こんな笑顔でオープニングに映ってるのもまた子供向けガンダムという感じですごく明るいです。
Vガンダムの良さ
Vガンダムは言うても1993年の作品なんですよね。1stガンダムは作品が1979年ということもあって作画がどうしても古かったりしてしまうんですよね。それに対して1993年というのが作画も良くなって合体変形というところも映像がいいんですよね。
あとは宇宙世紀0153年というのもあんまり今までのガンダムをちゃんと履修しないといけない感じが少ない。アムロとかシャアとかそういうのも出てこないし関係ない。ジオンがどうとかそういうのもない。Vガンダム単体で成立してるって言うのは大きいんじゃないでしょうか。
あとストーリーが最初からちゃんと戦闘するしちゃんと進んでいくんですよね。∀ガンダムとか見たんですけどアレはめちゃくちゃ面白いガンダムなんですけどどうしても序盤の引きが弱いんですよ。ガンダム界の世界名作劇場になってしまってかなりスロースターターな作品です。それに対して序盤からしっかり戦闘して面白みを演出していくというところが安定してるなという感じがしますよ。
そしてストーリーは鬱、人が毎回死んでいくわけで、13歳の少年が死んでいく味方を目撃し続けることによって少しずつ頭がおかしくなっていくのです。周りの人間も頭がおかしくなっていくというストーリーが本当に面白い。
まあそういうわけなんでね、とりあえず気になる人はVガンダムの1話はガンチャンに投稿されてるんで見てください。
Vガンダムの真実
リガ・ミリティアとかいうブラック軍隊
主人公のウッソ・エヴィンが所属してるリガ・ミリティアなんですけれども、ザンスカール帝国が悪の帝国だと作品序盤から叩き込まれ、その悪の帝国とたたかう軍隊だからリガ・ミリティアは正義の軍隊なのではないかというイメージをただただ吹き込まれ、主人公は正義のために戦っているかのように感じてしまいます。
でもリガ・ミリティアはまずただのレジスタンスであり正規軍ではありません。そして彼らはそれを自覚し、正規の軍隊じゃないからこそこずるい方法で戦い続ける。民間人を巻き込むことすら容赦しない。13歳の少年がガンダムに乗れば9歳の少女がレジスタンスの兵士として交戦に参加している。そしてガンダムに乗っているパイロットが13歳の少年であることを知ったザンスカール帝国の軍人は「こんなことをしていてはみんなおかしくなってしまう」と涙ながらに語るなど、ザンスカール帝国の軍人は終始一貫して少年が戦争をしていることに対して反対し続けています。
少年少女を平気で前線に投入するリガ・ミリティアのやり方を正義の軍隊のやり方かといわれると難しいところです。
そしてウッソ・エヴィンの両親はリガ・ミリティアの重要人物です。特に母親はガンダムの設計・開発者でもあります。母親は夢でニュータイプを授けると言われたことを機にその使命を戦士たる息子の育成に命を懸けるようになり、息子が乗るためのガンダムを開発し、ナイフ投げを教え、両手で武器が扱えるようスパルタ教育を施し、結果として育ったのがウッソ・エヴィンという少年だったわけです。実際母親はウッソに再開してもガンダムの話を聞くばかりで息子の話を聞こうともしない。
父親は父親でリガ・ミリティアの重要人物であり、ウッソは行方不明の両親を探してリガ・ミリティアに協力することを決めたほどにウッソにとって重要な人物であったわけです。それにたいして父親も息子をただの一人の兵士として接し続け、特別待遇はしない。プライベートですら父親らしい行動はしないという徹底ぶりで、こんなことされりゃそりゃウッソもおかしくなるだろというきもちになるわけで。
リガ・ミリティアはザンスカール帝国を排除するために抵抗運動を続けていますが、その支援は非常に弱いもので所詮レジスタンスでしかありません。だからこそ彼らは地球連邦が立ち上がりザンスカール帝国を排除するために共闘してくれることを願っています。
そのためなら一般市民が巻き込まれることもいとわないわけで、実際に序盤でカサレリアの都市はザンスカール帝国の攻撃によって市民も巻き込まれ甚大な被害を出しています。
主人公の陣営は正義の軍隊というイメージを抱いてしまうし、作品冒頭からそれを吹き込まれ続けることで洗脳されてしまう、だからこそ常に疑いながら、彼らの主張は正しいのかを見極めなければいけません。
ザンスカール帝国は悪の帝国なのか
我々がVガンダムを見ているとき、常にザンスカール帝国は悪の帝国だということを吹き込まれ続ける、しかも国の名前はなんかわかんないけど帝国、悪の帝国というイメージに飲み込まれてしまいがちなところがあるわけですが、冷静にザンスカール帝国について考えてみようと思うわけです。
そもそもザンスカール帝国はサイド2にて発生したスペースノイド国家で、地球連邦の支配が弱まった隙をついて独立を宣言した。それ以前はスペースノイドには自治権がなく、地球連邦に支配されていたわけで、ザンスカール帝国が独立を宣言したというのはかなり大きな功績なのです。
宇宙に住むスペースノイドは宇宙世紀0050年には90億人に膨れ上がっていて、地球にはわずか20億しか住んでいなかった。90億の人民を20億の限られたアースノイドが支配するといういびつな構造に対して起こった反抗が1stガンダムにおけるジオンの蜂起であったわけです。そしてジオンが蜂起し敗北してから40年、うだうだ戦争を繰り返しては負けてきたスペースノイドたち。
それに対しやっとザンスカール帝国は宇宙世紀0153年に独立を勝ち取ることに成功したことを考えると、これはスペースノイドたちにとっては偉大なる勝利だったのです。
「ギロチンによる恐怖政治」と言われるものもリガ・ミリティア側とザンスカール帝国側で見え方が違ってくるでしょう。そもそもギロチンというのは惰眠を貪る権力者に対する民衆の反乱の象徴でもあります。マリーアントワネットがそうであったように、ギロチンというのは常に民衆が望んだ結果なのです。
ザンスカール帝国がなぜ宇宙世紀にもなってギロチンを引っ張り出したのか、それはおそらく惰眠を貪る地球連邦の役人や軍人をギロチンで処刑したからでしょう。
そしてそのギロチンによる処刑を見ていたもののなんとか生き残ったのがリガ・ミリティアの現在の主要メンバーといったところではないでしょうか。彼らはギロチンを目撃し、その結果「ギロチンを使う恐怖政治」「ギロチンなんか使うから許せない」などという意味不明な論理とともに語られ、さも悪の帝国であるかのような印象を抱いてしまうのです。
ギロチンで処刑したことが正解であったかどうかということは確かに問題で、そこは正当に裁いて処分すべきであったことはいわずもがなです。しかしスペースノイドが虐げられてきたその歴史を塗り替える大勝利が歓喜とともにもたらされ、民衆が自分たちを虐げてきた相手を処刑することを望んだというのは想像に容易いです。ギロチンに対して民衆が熱気をもって迎えるのも、そういったギロチンに対する「正義の味方」というような感情がザンスカール帝国の国民にはあったのではないかと感じるのです。
民族自決という言葉もありますが、サイド2の市民がやっと手に入れた自治権と安住の地、自分の国をリガ・ミリティアは破壊しようとしている。それもただ破壊するのではなく地球連邦と共闘している、その先はサイド2の再びの地球連邦への屈従でしかありません。
ザンスカール帝国は本当に悪の帝国であったのかどうかについてはよく考える必要があるのです。それが独裁国家であったとしても、彼らには彼らの自治と民主主義があったことを考えるとザンスカール帝国を一概に悪の帝国と決めつけてしまうのは早計であると言わざるを得ません。
『悪女』カテジナさん
ガンダムにおける悪女というものについて考えるとき常に話題に上がる女性としてニナ・パープルトン(0083)とともに悪女であることが確定しているキャラがカテジナさんことカテジナ・ルースである。
カテジナさんはそもそも主人公ウッソの近所に住んでいる令嬢でウッソもハロを使って盗撮したりするなどの行為をしていたあたりも当初ウッソは恋愛感情を持っていたことが推察できる。
しかしカテジナさん自身はウッソのことをただただ鬱陶しいガキぐらいにしか思っていなかったし、そんなうっとうしいガキのウッソがガンダムのパイロットとして成功し持て囃されることに対して次第にフラストレーションを感じるようになっていく。
そこから何がどうなったのかはぜひ本編映像で確認していただきたい。カテジナさんが如何にして壊れていくのかは非常に面白く、このアニメにおける最大の見せ場であるとすら思う。
そもそもカテジナさんは悪女なのかという問題ですが、やはり悪女であることは確定でいいのではないかと思うのです。もちろん彼女は最初は優しいお淑やかな女の子でしたが、ストーリーがすすむにつれ壊れていきます。
とくに一番大きいのはザンスカール帝国の軍人クロノクルに出会ってしまったということでしょう。ウーイッグに住んでいたころは思春期らしい「何かしたい」「何かになりたい」という感情を抱えながらも、別に何か行動を起こすわけではないというまさに思春期というようなキャラクターです。そんな彼女がおかしくなったのはクロノクルとの出会いでしょう。
ザンスカール帝国の女王の弟という立場でありながら軍人であり、イケメンでもあり、そしてクロノクルの下にいればクロノクルがなんでも与えてくれるのです。自分の居場所、仕事、モビルスーツ、部下すら与えられ、とんとん拍子で出世するカテジナさんはさぞや愉快だったことでしょう。
しかし次第にクロノクル自身が大した男ではないということにカテジナ自身が気づいてしまう。クロノクルは結局遠大な野望を語りはしてもそれを絶対に実行する気概はなく、上層部の残虐な作戦に嫌悪感を示しても決して反抗することはないという軍人としては正解の対応もこの姿が彼女にとっては「自己保身」のように見えてしまう。次第にクロノクルに対する愛情も薄れていくもののすべてを捨ててクロノクルについてきた彼女にとってもはや戻れる場所なんてあるわけもない。だからクロノクルについていくしかない。そういう悲哀なんです。
とにかくカテジナさんについて思うのは何も考えてないけどただ行動したいという思春期特有のアレで痛い目を見たかわいそうな人、という印象です。なんかわかんないけどなんかしたい、そういった感情と、近所の年下のクソガキに普段からマジレスされてクソめんどくせえと思っていた時にカテジナはクロノクルと出会ってしまった。年上のイケメンが何不自由なくすべてを与えてくれると感じ、彼について行った。そしてそのイケメンが結局自分の思った人じゃなかったとしても自分から何か行動を起こすということができないから捨てることができずにズルズルいってしまうというところになんというか、人間味を感じてしまうんです。
もちろん彼女が悪女であるというところに関しては議論の余地はないと思っていますが、意味不明な人間というわけじゃなく一般人の延長線上にある狂気というところに一番の怖さがあるように感じます。
ザンスカール帝国軍『ベスパ』
さっきクロノクルに関する記述でザンスカール帝国の軍隊についていろいろ話してましたけど、ザンスカール帝国の軍隊である「ベスパ」という存在は結構めんどくさい問題だなと思っています。
ここに書かれているようにザンスカール帝国の軍隊であるベスパの成り立ちというのはサイド2にいた地球連邦軍の一部を基盤にして出来上がっているという特徴があります。地球連邦軍自体は腐敗しているということがよく言われてますけども、当時の地球連邦というのは何もせずお金がもらえるならなんでもいいというような状態だったことが明らかです。つまりイデオロギーや国家ではなく、何もせず金をくれる相手についていくという状態であっただろうと思われます。
そのような状態でサイド2でザンスカール帝国が勃興した時、おそらくサイド2にいた地球連邦軍の防衛部隊とある種の取引をしたのではないかと思われます。地球連邦軍と交戦するわけでもなく、クビにしたり処刑したりするわけでもなく、きちんと雇用を担保することを条件にした取引によりサイド2駐留地球連邦軍は投降、ザンスカール帝国の軍隊として参戦したのではないかということです。
これは結構賢いというか独立戦争を起こすことなくコロニーを制圧し支配したザンスカール帝国はようやっとるんですが、結果的にこれが問題となった印象も否めません。結局地球連邦軍を母体にしてできあがったベスパは戦争というものに対する経験値が低いうえに士気も高くない軍隊で、それを指揮官だけザンスカール帝国から派遣された軍人が指揮するという仕組みは軍隊の中にいびつな関係を作ったような気がします。
クロノクルは物語序盤においては中尉であり、士官学校の先輩であるピピニーデンは大尉という関係で当初ピピニーデンの方が偉かったにもかかわらずクロノクルは順調に出世し最後は中佐以上まで昇進しました。
ピピニーデンのほうが階級は下ながら先輩といういびつな関係性が生まれているということは指揮系統に混乱を招いたと思われますが、この辺りもピピニーデンはあくまで軍人上がりの人間であってもともとザンスカール帝国の軍人ではなかったと考えるとなんとなく符合が合います。軍人上がりでいつ裏切るかわからないピピニーデンを牽制するためにクロノクルは派遣され、女王の弟という立場もあって昇進を続ける一方でピピニーデンは部下からの信頼もあり地球浄化作戦の際には「先輩の頼みを聞いてほしい」と人質作戦を押し通しています。
一方のクロノクルはといえばピピニーデンの頼みを拒否したくても拒否すれば部下が何をするかわからない、軍隊を完全に掌握できているとはいいがたいザンスカール帝国の状況から下手にそれを止めることもできず、人質作戦だとは知らなかったとはいえ部下の独断を許してしまう結果となった。
ベスパのその複雑な成り立ちからザンスカール帝国の軍隊であるはずのベスパは必ずしも国家のために有効に働いてくれるとは限らないという状況で、たとえば宰相であるカガチのかつての同僚が指揮官をしているようにそういった掌握できない軍隊の暴走を政治将校たちによって食い止めているという状況に近かったのではないかと思うのです。
そしてザンスカール出身の人間で固めた親衛隊というものがコロニー周辺の防備にあたっていたのもいざというとき軍隊が離反するような状況があった場合に対処できる戦力として整備していたのではないか、と。しかし親衛隊のパイロットたちは決して優秀ではなくむしろ同士討ちをしてしまったり、経験の浅い学徒兵が任務に就いていたりと戦力としての内情はかなり厳しい模様で、新型モビルスーツを優先配備されているにもかかわらず劇中での活躍シーンも少なくなっています。
このようにまだ国家としてできたばかりのザンスカールの正規軍は発展途上で、ザンスカール自身もリガ・ミリティアのようなレジスタンスとだけ戦うつもりだったはずです。しかしそのレジスタンスが予想以上に強力で結果として地球連邦も巻き込んだ一大戦争に足を踏み入れてしまい、未熟な軍隊ゆえに地球連邦軍を母体としたベスパを主戦力として戦わざるを得なくなってしまった。それらの不運も重なりザンスカール帝国は敗北してしまったのではないか、と僕は考えています。
マリア教とマリア主義
ザンスカール帝国において信仰されているマリア教という宗教はザンスカール帝国の女王でもあるマリア・ピァ・アーモニアによってはじめられた宗教で、女王マリアは特殊能力を持っており、実際劇中にもそのヒーリングのシーンが出てきたりします。まあマリアがニュータイプであることに関しては可能性的にはあり得るんですがニュータイプにはヒーリング能力は別にありません。
まあこんなこと書くのもアレですがマリアのヒーリング能力なんていうのは詐欺というか、茶番だろうと思われますね。マリアを神格化するために必要な儀式という感じだと思います。
正直言ってマリア教というのは具体名は出てないしアレですがキリスト教から発展した宗派の一つなんだろうなあという感じです。そしてマリアという名前の神の力を持つ女が生まれたことにより新たな宗派としてマリア教が生まれた。
その威光をもってしてザンスカールは団結し、国民の多くがマリア教を信仰するようになった。しかし一方でマリアの存在は女王でありながらあくまで象徴でしかなく、実際の政治に関しては宰相たるカガチが実権を握っていて政治に参加することは実質的にできない状況になっています。今回の戦争においてマリアの戦争責任があるかといわれるとないのではないかという気がします、昭和天皇と同じパターンですね。しかし戦局はとんでもないバケモノを生み出してしまう。
ザンスカール帝国が極秘に開発を進めていた決戦兵器、エンジェル・ハイロゥが遂に完成するわけですが、この兵器の運用にはマリアの存在が必要不可欠でありました。マリアがキールームでささげた祈りをエンジェル・ハイロゥに冷凍睡眠されている2万人のサイキッカーたちの力を使って照射することにより人々の戦闘意欲を喪失させ戦争を終わらせることを目的に開発された兵器です。
しかし実際には戦闘意欲喪失効果は薄く、そして運用もその方向を地球に向け一般市民に向けて照射するという結果になってしまいました。一般市民に対して照射された結果も幼児退行を引き起こし人々を眠りにいざなうという結果で、これは銃後の人間を封じ込めることで地球自体の継戦能力を喪失させるというものであり、れっきとした一般市民への攻撃でもあります。
この一般市民への攻撃を効果を知らなかったとはいえ加担してしまったマリアの罪は十分に重く、マリアにもエンジェル・ハイロゥの件について戦争責任が問われることは間違いなかったであろうと思われます。
サイキッカーって何やねんと思うんですが、ニュータイプの素質がある人間という可能性は僕はあり得ないと思っています。それだけニュータイプの素質がある人間がいれば訓練してパイロット、エースとして育成すればいいのであって2万人ものニュータイプ候補生をそんな形で運用するのは正直あまりにももったいない計画だし、そんなにたくさんニュータイプ候補生がいてたまるかという問題も感じてしまいます。
個人的には銃後の一般市民に「サイキッカーだから」という理由をつけて実験台として引っ張ってきたという説を推します。サイキッカーたちを見る限り兵士としての適性は低そうな人間が目立ちますし、兵士としては使えない人間たちをどうにか理由つけて引っ張ってくるための名目としてサイキッカーという言葉が使われているような気がします。
リガ・ミリティアとおっさんたち
リガ・ミリティアという軍隊は正直言って「弱者の軍隊」でしかないです。地球連邦が反抗しないからこそ民衆たちが集合してザンスカール帝国に反抗し、地球連邦に「喝を入れ」ザンスカール帝国討伐の腰を上げさせることが目的です。League Militaire(神聖軍事同盟)というのも各地に存在していた反スペースノイド運動のレジスタンスたちの連合体であろうことが想像できます。そして自分たちのことを神聖と書いているように地球至上主義、反スペースノイドの主張が非常に強く感じられます。
先ほど書いたように上層部レベルにおいてサイド2駐留地球連邦軍はザンスカール帝国に恭順したものの現場レベルではそれに対する反抗心もあり、抵抗があったものと思われます。リガ・ミリティアの前線で戦っている兵士や士官は元サイド2駐留地球連邦軍の生き残りかつ反スペースノイドの集まりであろうと思われます。
しかし主力部隊であるシュラク隊はそのメンバーのほとんどが女性という特殊な構成になっています。
シュラク隊がなぜ女性ばかりなのか、これは様々な要因が考えられますが一番は地球での人口比率がいびつになってしまったというのが大きいのではないでしょうか。長く戦乱が続いている地球はそもそも人口のほとんどを宇宙に移動させてしまい、人的資源が不足しているうえに戦乱続きでおそらく男子の人口はかなり減少していると思われます。またすでに地球に住んでいる人間がある種の貴族であり、限られた人間しか居住していないことを考えると徴兵できる人間も限られてくる。不法居住者も多数いるものの彼らを徴兵してしまうと彼らを地球市民として認めてしまうことになってしまう、だから不法居住者は宇宙に送り返すしか地球連邦には選択肢がない。
地球連邦軍の正規軍ならば宇宙コロニーや月から徴兵して人的資源を補うこともできますがリガ・ミリティアのようなレジスタンスの場合はコロニーや月もスペースノイドを支援する人間が多いため地球から徴兵するしか選択肢がありません。そしてモビルスーツに乗れさえすれば戦えるシュラク隊であれば性別を問題にする必要がないため、とにかく徴兵しやすい女性をかきあつめたのではないかと思われます。
リガ・ミリティアにいる男がおっさんばかりなのも生き残った指揮官や(おそらく)貴族上がりの指揮官、それに技術者や整備兵といった貴重な人材ばかりで、前線で消耗するパイロットはほとんどが女性という異常な状況です。もはやこの世界においては男はあまりにも貴重で銃後を支える人材としておそらく後方支援がメインになっていたのではなかろうかと思うのです。
そしてこのおっさんおじいちゃんたちも生まれてこの方戦争しか見てこなかった世代で、13歳の少年がパイロットとして酷使されることに関してももはや何も思わないという頭のおかしい人たちです。Vガンダムには頭がおかしくない登場人物などいないのです。そして彼らは本当に少年兵に対して厳しい。でもその厳しさもおそらく今までの戦乱の歴史の中で紡がれてきた「ニュータイプ」という「戦争の英雄」の幻影をウッソに求めてしまった感が非常に強く感じられます。
実際リガ・ミリティアはベスパに対して非常に苦戦しており、もしウッソがいなかったらリガ・ミリティアは壊滅していたであろうと思われます。シュラク隊もことごとく損害を出し補充要員を入れてもなお犠牲を重ねるありさまで、ウッソ抜きのVガンダム世界はおそらくザンスカール帝国が真の独立を勝ち取っていたことは明らかです。
リガ・ミリティアにはこすい戦術はいくらでもありますが戦略というものはありません。彼らはそもそも勝てるわけない戦争にウッソとかいうスーパーエースが降臨したことで勝機が見えただけのことでしかないのです。そしてそのウッソも両親はリガ・ミリティアの重要人物で幼いころから戦士として育成され、ガンダムもウッソの機体として開発されていたことを考えればウッソが戦争に巻き込まれガンダムのパイロットとなったのは偶然ではなくそう仕組まれていたとしか思えないのです。成長し戦士となったウッソを回収し完成したVガンダムに彼を乗せる。そうすればガンダムにニュータイプのスーパーエースが搭乗して戦うという今までの「ガンダム神話」を再び呼び起こすことができる。スペースノイドにとって苦々しいまでに刻まれたガンダム神話を思い起こさせることでザンスカール帝国の継戦意欲を削ぐということも目的の一つであったろうと思われます。
実際にはウッソはおそらく皆が想像していた以上にパイロットとしての高い才能を発揮し、リガ・ミリティアどころか宇宙世紀にも名を遺すスーパーエースになったのです。先ほども書いたようにベスパはウッソ一人によって壊滅させられたと言っても過言ではなく、ウッソ一人によってあの戦争は終わったのです。それほどまでにウッソの活躍は尋常ではない。
しかしそれは裏を返せばリガ・ミリティアにはウッソしかいなかったという事実も明らかにしており、ほかの戦力はあくまで補助戦力でしかなかったということでもあります。もしウッソの回収に失敗していた場合リガ・ミリティアのVガンダムを使った反抗計画も間違いなく頓挫していたものと思われます。
一人でリガ・ミリティアの戦力を背負って戦い続けたウッソはただの少年兵にもかかわらず味方の死を見続け、彼は彼として少しずつおかしくなっていってしまうということなんですね。
最後の最後、ラストでリガ・ミリティアのおっさんたちは敵の艦隊に向け特攻をしかけることになります。そしてそのシーンがまた最高にたまらない。視聴中何度も巻き戻して再生するぐらいにめちゃくちゃカッコいいシーンなんでどうしてもあのジジイどもがカッコよく見えてしまうんです。しかもきちんと若者たちは退避させたうえで特攻するカッコよさ、これを見るとどうしてもリガ・ミリティアのイメージが良くなってしまう()ので、やっぱりそこも冷静に見ていかなきゃいけないんですよねこの作品は。
ジジイの一人が「長生きし過ぎた罰が当たったな」とつぶやくのもおそらく長生きしてきた中で技術者として多くの人間を戦地に送り死なせたという事実を直視せずに生き、最後の最後モビルスーツに乗って戦わねばならない状況に追い込まれてやっと自分が送り出してきた兵士たちの気持ちを理解できたからこそ出たセリフなんじゃないかという気がします。
総括
まあそういうわけで13000文字以上にも及ぶレビューとなってしまいましたがいかがでしたでしょうか、Vガンダム。まあしっかり鬱の要素がある作品で、どんどん登場人物が死んでいく様は本当に重苦しい空気感を作り出し、その中で主人公ウッソが苦しみ、泣き喚きながら敵と戦うさまはロボットアニメの主人公とは思えない雰囲気です。
しっかり鬱展開もありながらストーリーもこのように考察の余地が入りまくる深みがあって解釈の幅があるところも素晴らしい。考察記事を書くだけで13000文字に至り、なんならまだ書いてないことがあるぐらいの勢いですから。
正直この記事を書き始めたときは最終話を見てなくて、さっきやっと見終わったんですがまあなんというか重い作品だったなと思います。なんかこの救いのなさに見た後の心の中は結構かき乱されてる感じですね、はい。
とりあえずそういうことなので、ぜひVガンダムを見てください!
サポートしてくださると非常にありがたいです。