青木宣親(2012年~2017年)【パワプロ2024 パワナンバー】
青木 宣親
Norichika Aoki
燕の安打製造機
早稲田大学の二番打者として当時六大学最強打線の一角を担い、一番打者を務めた田中浩康とは後にプロでチームメイトとなるほか、三番鳥谷や五番武内といった錚々たるメンバーの中で首位打者獲得をするなど活躍。
ヤクルト入団後は卓越したバットコントロールを武器に安打を量産し、プロ2年目にはイチロー以来二人目となるシーズン200安打をクリアするなど天才打者として活躍。
2010年には開幕絶不調でチームの低迷とともに高田繁監督の休養につながってしまったが、小川淳司監督代行が一番打者に固定したことで打撃が復調、NPBで史上初となる二度目のシーズン200安打をクリアし、ヤクルトの打率球団記録を更新するなど結果的にキャリアハイのシーズンとなった。
2011年は違反球が導入されたシーズンで青木自身の打撃成績も低迷、シーズン打率.292と青木らしくない数字に終わってしまった上、チームも優勝を逃す悔しいシーズンとなった。シーズンオフにポスティングでのメジャーリーグ挑戦を発表すると、シーズン200安打の打撃の天才という点でイチローと重なる部分も多く、当時日本人野手がことごとくうまくいっていなかったことから青木への期待感は大きかった。
ミルウォーキー・ブルワーズ時代
ブルワーズへの入団が決まった青木だったが、日本人の期待感に反して当時の青木の立ち位置は微妙であったことは間違いなく、スタメン野手としてはそこまで期待されていなかった。しかしメジャーリーグ初本塁打をランニングホームランで記録すると、打撃で結果を残したことや、主力野手に負傷者が出たことなどから徐々にスタメンとしての起用機会が増加。青木らしいシュアなバッティングで3割近い打率をコンスタントに記録すると、二桁本塁打を記録する活躍もあって終わってみればOPS.787、さらに30盗塁を記録し、ブルワーズの新人としては最多となる二塁打37本を放った。
これらの活躍もあり新人王投票では5位に食い込むなど健闘し、ブルワーズのリードオフマンとして活躍。翌2013年は一番打者として出場を重ね、やはり安定した打率でチームに貢献。イチローほどの鮮烈な印象を残したわけではないが、テーブルセッターとして着実な貢献を見せていた。
2012年成績 .288 10HR 50打点 30盗塁
カンザスシティ・ロイヤルズ時代
2013年のオフ、トレードでロイヤルズへと移籍することが発表。ロイヤルズ移籍後は長打が大幅に減少し、出塁に特化したプレースタイルになった。また負傷離脱も増え、出場試合も減少したが、それでもロイヤルズで放った唯一のホームランは満塁弾であり、とにかく勝負強いバッティングでチームに貢献、ロイヤルズは地区優勝こそ逃したもののワイルドカードでポストシーズン出場を決めた。
好調なチーム事情に乗ってワールドシリーズ出場も果たしたが、ワールドシリーズでは体調不良もあり先発出場を外れるなど思うようにプレーできず、世界一は逃す結果となってしまった。長打こそ少なかったもののしぶとく勝負強いバッティングでロイヤルズを牽引していたと言え、青木が出塁して代走のジャロッド・ダイソンが出てくるというパターンはよく見た光景と言えよう。
2014年成績 .285 1HR 43打点 17盗塁
サンフランシスコ・ジャイアンツ時代
シーズン終了後にFAとなったが、サンフランシスコ・ジャイアンツと1年契約を結び移籍。すると5月3日には初回先頭打者ホームランを放ち、さらに二番打者のジョー・パニックも続いてホームランを放つ。ジャイアンツが初回から2者連続ホームランを放ったのは1964年以来という快挙。
好調なバッティングで3割を超える打率を記録し、オールスター選出も見えていた中でデッドボールにより骨折。さらに復帰後には今度は頭部に死球を食らい脳震盪となるなど不運が続き、これによって打撃の調子も低下。結局復帰できず規定打席にも到達せぬまま終わることとなった。
それでも打率.287でOPS.733と安定した打撃成績を記録しており、ホームランが出にくい本拠地ながら5本塁打を記録し、戦力として機能していた。
2015年成績 .287 5HR 26打点 14盗塁
シアトル・マリナーズ時代
2016年はマリナーズで開幕を迎えることとなり、岩隈とチームメイトとなる。日本人左打者の安打製造機がふたたびシアトル後にやってきたということでイチローと重なる部分は非常に大きかったが、開幕直後大不振で大幅に数字が低迷。それまで苦にしていなかった左投手に対し露骨に数字が悪化し、主に右投手相手に起用されるようになる。
右打者との対戦に集中したことで打率も戻し、結局例年通りの打率.283という安定感のある数字になったが、2年連続で規定打席を逃すという結果に。さらに盗塁も毎年二桁を記録していたがこの年は7盗塁で9盗塁死とかなりのマイナスを叩き出してしまい、期待に副うことはことはできなかった。
2016年成績 .283 4HR 28打点 7盗塁
2017年
2017年の開幕はアストロズで迎えることとなるが、この年WBC日本代表として出場。青木自身は決して結果は残らなかったが、この大会で唯一のメジャーリーガーとして参戦し、侍ジャパンを精神的な部分で牽引、ベスト4入りに貢献した。
アストロズでは日米通算2000安打を達成するなど活躍したほか、ヤンキース戦では高校時代以来となる投手としての登板を経験。3失点を喫したものの1イニングを投げた。
結局テオスカー・ヘルナンデスとのトレードでトロント・ブルージェイズへと移籍したためアストロズでの出場試合は70試合だったが、その後アストロズがワールドシリーズを制覇したため青木にもワールドシリーズリングが贈呈されている。
ブルージェイズ移籍後は移籍後初安打がホームランとなるなど活躍していたが、チーム事情によりDFAとなり、三度移籍。今度はニューヨーク・メッツへと移籍し、これによりMLBの両リーグ全地区に所属した初めての日本人選手となる。メッツでの出場試合も27試合にとどまったが、アストロズ含め3球団ですべて打率が.270以上.285未満という実に青木らしい安定した成績を記録し、MLB通算774安打を放った。
2017年成績 .277 5HR 35打点 10盗塁
その後
2018年は結局契約先が見つからないということもあり日本復帰、さらに古巣ヤクルトへの復帰が決まる。青木が抜けて出来たセンターの穴が再び青木によって埋まるという謎現象がおこったりしたが、特に全盛期と比べて特に遜色ない打撃を記録するなどその打撃センスはやはり本物で、天才打者に相応しい成績を残した。
NPB通算2000安打も期待がかかっていたが、2024年は打撃成績が大幅に落ち込んだシーズンとなり、現役引退を発表。お疲れさまでした。
査定について
特にこれと言って書くことは無いのですが、投手能力についてのみ。青木の登板で投げたボールがすべてカーブと判定されていて、球が遅すぎてカーブとして判定されているのか意図的にカーブを投げたのかは不明です。ただ一応そういうことなのでカーブを投げれるようにしました。
ひとこと
ということでMLB時代の各球団での青木について作りました。本当にチームによく貢献してくれた選手ですし、間違いないレジェンドでした。青木なら2000本は打ってくれると思ってましたが、まさかこうなるとは思いませんでした。ただ本当にありがとうございました、そしてお疲れ様でした。僕から言えることはその二つです。
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