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【パワプロ2022・架空選手】中嶋 忠【パワナンバー】

中嶋 忠(なかしま ただし)

御崎高校 - 第74歩兵師団(1942 - 1954) - 泰平コメッツ(1955 - 1964) - 西松スキュアス(1965 - 1967)

切れるサブマリン

 1924年6月2日、御崎にて生まれる。御崎高校に進学後は野球部のエースを務め豪快なフォームから放たれる速球で名を馳せた。しかし戦争の拡大もあり1942年に徴兵され陸軍第74歩兵師団に入隊することとなった。戦場では野球部だったことから擲弾兵として活躍、右肩を負傷することとなった。
 1945年、戦争終結に伴い陸軍野球が再開される。中嶋は右肩の負傷により以前のような速球を投げることができなくなり陸軍野球入りを諦めていた。しかし当時の監督から「右がダメなら左で投げればいいだろう」と言われたことから左で投げる練習を開始、独自のトレーニングによりアンダースロー投法を身に着けた。特に手首を立てて投げることでストレートは遅いながらも空振りを奪える球種となりストレートとシュートのみで打者を斬り、「低速の剛腕」と言われた。
 1947年には先発に転向したものの右打者に滅多打ちにされ、大きく曲がるスライダーではなく小さく曲がるスライダーを習得。これが世界最初のカットボールと言われている。

「浮き上がる速球に沈むシュートとスライダー、まさに幻惑投法と謂ふに相応しい」
「傍から見ている人間にはわからない、打席に立たねば解らぬ凄みといふものが中嶋にはある」

 陸軍野球では10年間のキャリアで284勝を稼ぐ無双っぷりを見せた。特に陸軍野球の質の悪いバットは中嶋のカットボールにより度々粉砕され、1試合で10本以上を破壊したという記述も残る。
 1954年、プロ野球開始に伴う分配ドラフトが行われ泰平コメッツがドラフト2位で獲得。いかんせん勝利数は抜群に多い投手ながらも最速は120km/hあまり、目立った変化球もなく当時はやりのカーブすら投げられないという彼のピッチングスタイルは当時の野球界では評価されずドラフト一位での入札はなかった。さらに陸軍野球には質の高い左腕投手が少なかったことからもレベルの低いリーグで無双しているだけの投手というイメージは少なからずあったのである。
 ともかくも30歳でプロ入りという遅いデビューながらもプロ入りのチケットを掴むことに成功したのである。

 一年目となる1955年、開幕3戦目に登板するといきなり初戦を完封するという鮮烈なデビューを飾る。その後も動く速球を軸に打者を抑え続ける他中三日で先発しながらも中継ぎ登板もこなすという酷使に次ぐ酷使でも彼はむしろ喜んで登板していた。一年目は67試合に登板し312イニングを投げ27勝17敗、防御率2.71と抜群の成績で紀洲スイフツとの優勝争いを支えたものの惜しくも優勝を逃してしまう。
 二年目の1956年は打者に慣れられてしまったというところもあり数字を落としてしまうもののそれでも300イニング以上を投げるタフネスで24勝16敗防御率3.07でシーズンを終える。この年も惜しくもチームは3位に終わりチームとしては不完全燃焼な一年であった。

 三年目の1957年、速球だけでは無理だと判断した中嶋はチェンジアップの習得に努めた。加えてそれまで左打者は外角中心だった配球を改め左打者の内角も突けるようトレーニングを重ねた。

パワナンバー : 10800 50918 67864

 左打者対策の内角攻めでそれまでのバット折りが復活、多くの強打者のバットを粉砕した。チェンジアップによりタイミングを外すことを覚えたのは奪三振にも寄与、打たせて取るだけではない新たなスタイルを確立した。年間322イニングを投げ切ると34勝を挙げ見事最多勝に輝く。さらに64試合登板だけでなく51試合に先発しまさに獅子奮迅の活躍を見せ、51試合先発登板は現在もプロ野球記録となっている。この活躍により紀洲スイフツの連覇を止め泰平コメッツに初めての優勝をもたらした。
 さらに定評があった打撃面での貢献も光り投手として6本塁打、代打で1本塁打を放つ活躍でベストナイン一塁部門で票を集め、一時は初となる複数ポジションでのベストナイン獲得かと騒がれた。

査定について

 コントロールについてはもっと良くてもいいのかもしれません。この年はBB/9が2.10なのでかなりいいシーズンですし。でも前後のシーズンが2点台後半のシーズンなのであんまりよくし過ぎるのもどうかというところでこの辺に落ち着きました。
 シュートに関してですが沈むような軌道を描いていたということでシンキングツーシームに。シンカーともシュートともどっちとも取れる感じで。
 スタミナもっと盛ってもよかった気もするけどまあ51先発で322イニングだしこんなもんかなあとかいろいろ悩みつつの感じです。
 左投右打というプロ野球界の希少種ですがもちろん打力も高くないと困りますよね。大丈夫です、それなりに打ってくれそうな能力をしています。

終盤力

 このシーズン別に完投数は5と決して多くない。ただそのすべてが完封、特に7,8回での失点の少なさが際立つ。本人も「完封じゃない完投は嫌だったので序盤に失点したら中盤力を抜いてさっさと降板しようとしていた」と語る。

クイックF

 クイック投法が編み出されるのが翌年、そして何より中嶋は「盗塁なんていくらでもしてくれて構わない、ホームに返させなければいいだけの話」と語り引退までクイック投法をやらなかった。

ノビA

 チェンジアップが語られるシーズンではあるものの一番の武器はストレート。高めのストレートで空振りを奪い低めの変化球を打たせるというスタイルが確立されたシーズン。

力配分

 「全部の打者本気で投げてたら300イニングも投げられない」と語るように下位打線には明らかに力を抜いていた。それだけに下位打線からピンチを作ることも多かった模様。

対左A

 左打者のインコースに決めるシュートは打者がのけぞって全く手が出なかったと言う。中継ぎ登板の多くはワンポイントリリーフであったという点も考慮。

エピソード

 その後泰平コメッツのエースとして君臨した彼だったが58,59年と優勝を紀洲スイフツに許してしまう。そして1959年には田中誠が紀洲スイフツに入団、一躍球界で話題となる。
 打倒紀洲スイフツと意気込んだ1960年、8月16日についに紀洲スイフツと泰平コメッツのゲーム差が0.5に迫る。直接対決で2-1とリードした場面でワンナウト満塁となり投手は中嶋に交代。打者は四番田中誠。初球のインコースシュートをファウル、2球目の外角低めカットボールは見逃されボール。3球目の真ん中低めチェンジアップを田中誠は思いっきり引っ張り大飛球、わずかにポールの外側を通過。しかしこれを見て中嶋はニヤリと笑う。再び真ん中低めの今度はカットボール、田中は力んだスイングで叩いたもののバットは粉砕、差し込まれたショートゴロで併殺に取りこのピンチを乗り切った。結局この試合に勝利したことで泰平コメッツが首位に返り咲く。翌日8月17日の試合では中嶋が先発登板、田中誠は左投手を苦手にしていることから二番打者で起用される。しかしこの試合も中嶋は3打席すべて内野ゴロに打ち取りチームも勝利。この直接対決を制したことで勢いを掴んだ泰平コメッツは二度目の優勝を掴み取る。防御率2.54 32勝9敗で最多勝と最高勝率を獲得。
 しかしこれ以後は中嶋は勤続疲労がじわじわと表面化、数字を明らかに落としていく。チームも低迷し始め勝利数も伸びなくなっていく。1963年、9年目39歳にして200勝を達成、左腕投手での初めての200勝であった。1964年は防御率3.96 8勝10敗と初めての一桁勝利と初めての負け越しを経験。シーズン終了後翌年から開始されるSリーグのための戦力補強として西松スキュアスと無償トレードに合意、西松スキュアスに移籍した。

 1965年40歳にして1961年以来となる開幕投手を務める。中継ぎ投手を務めながら谷間の先発も務め88イニングを投げたものの防御率は4点台、6勝11敗と振るわず。以後66年は防御率4.13 4勝7敗、67年は防御率4.43で3勝5敗と結果は残せずこのシーズンを以て引退した。
 通算防御率3.17、588登板224勝149敗8S140HP。陸軍野球での勝利数を合わせれば500勝にも達し、この実績が評価され殿堂入りを果たした。

 1972年浜岡アルバコアズの投手コーチとして招聘され投手陣を再建、チームを上位争いに導いた。1974年に監督に就任すると一年目に優勝を果たすと紀洲スイフツとの王座決定戦に挑む。初戦で7番打者に田中誠を起用されたことが相当癪に障ったようで(このシーズン引退を表明、.217 0本塁打と全く通用していなかった)、相当な舌戦を繰り広げ4勝2敗で総合優勝、Sリーグのチームで初めての総合優勝となった。

「今シーズン限りで引退する選手がスタメンで出ても優勝できるようなリーグに価値が果たしてあるのか」
「自分の引き際は自分で決めないと晩節を汚すことになる」
「メディアによって作り出された幻想のスター」

 1975年も優勝し見事連覇を果たしたものの泰平コメッツとの王座決定戦では敗北。78年に再び優勝に導くも今度は帝國ニッケルに敗北。79年優勝を逃したことで退任した。
 以後Sリーグでは陸軍派の排斥が徐々に行われるようになり解説者としての仕事が中心になった。2009年、泰平コメッツの優勝を見届けこの世を去った。

ひとこと

 左投右打のエース、やっぱり最高ですよね。そういうことです。彼には言葉はいらない。右のアンダースローとは言ってますがほぼほぼサイドスローです。球は遅いんだけど本格派、そういうイメージで作りました。

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