櫻坂をふりかえる①
東京ドーム公演も大盛況で、今やパフォーマンスグループとしてはっきりした「色」を示している櫻坂46.
この状態を、あるメディアは「どん底からの復活」「大逆転劇」と紹介していたが、古いファンからみたら違和感もあったのではないだろうか?
今回は、そのへんのことを振り返ってみたい。
ご存じのように、櫻坂の前身は「欅坂46」である。
確かに、欅坂がデビュー曲「サイレントマジョリティ」で華々しくデビューし、平手友梨奈という天才パフォーマーを完全に軸に固定してスタートダッシュを決めたあと、二の足がなかなか使えないまま、いくたのスキャンダルやら、問題やらに苦しみ、卒業生を大量に生み出し、紅白からも漏れたという表面的な事象を辿れば、これは「復活」であり「逆転」かもしれない。
しかし、「復活」というのは、一度死んだものがよみがえるものであるわけで、私個人は欅坂が名称変更したときでさえ、別に「死んだ」とは思っていなかった。
何度か、ここにも、そしてライターをしていた時期の済経新聞にも書かせてもらったが、欅坂には大きな問題が4つあった。
①デビュー曲ブレイクにより、メンバーの経験を評価が追い越した
②平手友梨奈バラエティ露出制限
③予想外の成功にスタッフの体制が整わなかった
④③に付随するが、厄介ファンの跳梁を許してしまった
まあ、最終的には「下積みを経験しないままスターになってしまったことに、メンバーもスタッフも対応が遅れてしまった」のが、欅坂を迷走状態に追い込んでしまったことになると言えるだろう。
秋元グループ(AKB、乃木坂、日向坂など)が、ブレイク前に時間を要し、その中で、打開策を見つけるためにメンバーと運営の意見交換が盛んで、コミュニケーションの大切さを骨身で感じていたのに対し、欅坂はそういう時間も取れず、個々に仲のいいメンバーは作れても、グループ全体の温度差はそこまで上がってこなかったうえ、曲調やグループイメージが「クールさ」を重視(?)していたため、それでいいという感じで流されているように思えた。それが出てきてしまったのが、「KEYABINGO」や「欅って書けない?」などのバラエティだったということだろう。
「バラエティ面白くない」というイメージは、逆に初期からバラエティへの対応力が高かった、志田、織田、齋藤、尾関、石森虹花あたりへは逆風になり、初期ではバラエティでは引き気味に、だけどツッコミだけはするどかった、渡邊理佐や小林由依あたりが輝くことになる。
通常なら、露出が続いて、徐々にメンバー間の人間関係みたいなものも見えてきて、ある程度視聴者やファンがそれを認識して、親しみを覚えていくものなのだが、欅坂はその時間を与えられず、ファンも切り取ったその場の話題だけで、仲がいいだの悪いだの、イジメだのボッチだのと喚き散らすことになり、メンバーも運営も途方に暮れた部分はあったと思う。
というわけで、今回はここまで。
次回は、欅から櫻に変わるということは、どういう意味があったのかを考えてみることにしよう。