学習塾や家庭教師で国語を学ぶべきか?

さてさて、小論文ラッシュも終わり、日常が戻って(?)来ました。
それにしても、「国語」ってのは難しい教科であります。
数学や算数、理科や社会系の、いわゆる暗記勝負の科目や、英語のように、ある程度の構文があるものであれば、少なくとも教え方としては難しくはありません。
出題範囲もある程度絞り込めますしね。

ところが、国語っちゅーのは……古文なら文法中心にすりゃあ暗記科目にもできますが、現代文になると、どんな問題が受験で出るのかわかりませんから、総合力を上げていかないといけない。
漢字と文法と文学史、あとは諺などですかね。
でも、そんなん受験では100点中2~30点で、どうしても読解問題が増えてきます。
ましてや、マークシートではなく、記述なんかでようものなら、実力差ははっきりでちゃいますからね。

そんなわけで、外部の塾などでは、英語や数学に比べて、すぐに成果が点数に現れない国語科系の科目は、漢文や古文を入試選択しない人も増えていることからも減っています。
その代わりに、小論文の需要は高まっているんですけどね。

しかしながら、これ、結構落とし穴になる。というか、受験というシーンにおいて、他者と差をつけるのは、国語、もしくは小論文であることが多い。
暗記科目ではないだけに、文章から意図を見抜いて分析して理解するというのは、国語科において身に着けるべき素養だったりします。

じゃあ、どういう勉強をすればいいのか。

「本を読みなさい」

そんなの、誰でもわかります。でも、実際、本を読むのは苦痛だと感じる生徒が多いです。
自分が好きな「物語」であるとか、興味がある、あるいは部活に所属している「スポーツドキュメント」程度ならともかく、関心のないジャンルの専門的な文章を出されたら読む気は失せる。

国語(特に現代文)で、塾や家庭教師が効果を発揮するのは、普段の生活ではめったに読まないのに、受験になると読まざるを得なくなる文章を、いかにたくさん読み、理解する習慣を身に着けるか……という部分でなんですよね。
岩波新書を片っ端から丸々一冊読むのは難しい。
だけど、受験問題として出される程度の分量であれば、それなりの数は読むことができる。
そして、正解か不正解か…ではなく、どこにどういう形で意図がかかれ、どういう根拠で結論が導き出され、それがどういう「受験問題」になっているのか……ということを解説してくれる。
これは、自習ではなかなかできない(多分できる子は必要としない)ことです。
ですから、講師を選ぶときには、この「文章解説、問題解説」ができる先生を探してください。
正解を見て、〇×をつけるだけの先生なら、自宅学習で充分ですw

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